ワークショップ疲れ
一昨日あんなことを書いたら,東大の中原先生のブログに「ワークショップ疲れという現象の背後にあるもの」という記事があった。権威に楯突くはずのロッカーが,いつの間にか権威扱いされてしまうようなものか。新しい発想を得るはずのワークショップが,ろくなアウトプットも許されず,結局落とし所を探す(従来通りの)作業の前振りになってしまうのでは,そりゃ「疲れ」もするだろう。
技法や道具は,いろいろなものがどんどん当たり前になっていけばいいと思う。そして自由な方向に向かえばいい。それが束縛やつまらなさに向かってしまうのは,アウトプットを本気では求めていないからなんじゃないだろうか。「俺達よくやったよね」という慰めには確かに快感が伴うのだけど,本来あるべき目的よりも優先されるものではない。
コメントの受付は終了しました。