不定期戯言

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2009.11.07 (Sat)

マンガ

・パソはやの素に21日に『コミカプ』発売記念サイン会をやると書いてあったので,再来週が発売日だと思っていたら既に本屋に並んでいた。あれま。ほんとは小池定路の『魔法少女チキチキ』を買いに来たのだけど。

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7高生 wrote at 2009-11-10 00:22:

先生が読む漫画のジャン?‹がよくわからない。

美少女ものとかも見るんすか?僕は大好きですよ

わたやん wrote at 2009-11-10 23:47:

また文字化けしてしまった。申し訳ない。

美少女ものというとどういうのでしょう。意外に思うかもしれませんが,あまり(というかほとんど)アニメは見ないのですよ。
今日の日記に,メディアマーカーというサイトで私が登録している本リストのアドレスを貼っておきますので,そのあたりから探ってみてください。

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2009.11.03 (Tue)

頂きはどこにある?

・車の12ヶ月点検の待ち時間に『頂きはどこにある?』(スペンサー・ジョンソン著,扶桑社)を読み返す。この本にしても『チーズはどこへ消えた?』にしても,新しい「情報」が書かれているというようなものではない。物語として書かれていることに価値があるのだと思う。冒頭でアンが私,本当は何でも変えるのが嫌なたちなの。だから,新しいことは何度も聞く必要があるわけ。と言っているが,まさにそのことだ。情報であるなら1度聞けばそれでいい。

物語の中で老人は君が見いだすものは,ほかならぬ『君自身』の英知になるのであって,私やほかの人の英知になるのではない。と言っている。Lifehackはえてしてそういうものだ。誰かのために自分を高めるのではなく,自分を高めることが誰かのためになりえる。私たちはそれぞれ自分の物語を持たなくてはいけない。

・大筋とは関係ないのだけど,主人公の会社では多くの部署が資力以上に金を使っていた。会社がうまくいっていると安心していたのだ。という状況があったと語っている。同じことはこの国で,あるいはもっと小さい集団で,ずっと続いているように思える。生み出した以上のものを得ることはできないのに。

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2009.10.22 (Thu)

ITホワイトボックス

・NHK教育で「ITホワイトボックス」という番組をやっている。日曜のNHK杯のあとの再放送を何度か見て,これはいいなと思って職場で予約録画をセットした。準備室のHDレコーダはなぜかNHK教育の番組表取得によく失敗するので予約入力には苦労したのだが…こないだざっと内容を確認しようと再生したら,ブロックノイズの嵐で見られたものではなかった…orz。おそらく電波状態が良くないということなのだろう。これだからデジタルはだめなんだ :-P

・だからということでもないが,番組の内容をまとめた『世界一やさしいネット力養成講座「ネットに弱い」が治る本』を購入。まだ最後まで読んではいないが,内容はしっかりしているように思う。番組で説明していることも漏らさずきっちり書かれている。生徒や家族には薦めてみたいな。明日にでも職場の図書館に推薦しておこう。

ただ,わかっている人が読んでわかりやすいのはともかくとして,ネットのいろんな仕組みをわかってない人が読んだらどうなんだろうとは思う。TVほどわかりやすくはないような気がする。この本は,文字で書いてあることを読み取ったあとで,一度立ち止まって考えないと本当のことが理解できないんじゃないかな。TVだといろんな演出…たとえば出演者のリアクションとか…で難しいところがどこなのかわかりやすくなっていたりするんだけど,この本だと見た目が平易っぽいから流し読んでしまうことを心配してしまう。もちろん,それを承知で書いているのかもしれないけど。

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2009.06.28 (Sun)

あれこれ

・ハンガーストライキという暴力的な手段に出てしまったら,せっかく積み上げてた思いやなんかやかがすべて台無しだよなあ,てな独り言をいいながら鳥はむを仕込む。

・今日は試合の引率だったのだが,待ち時間がやたら長かったので新書をぱらぱら。『情報って何だろう』(春木良且著,岩波ジュニア新書457)はジュニア新書だけあって生徒によませたいとも思ったが,歴史的なことなんかは私自身かなり勉強になった。ワーテルロー・スクープとか,FAは成功したけどOAは成功しなかったこととか,アメリカン航空が「うまく」やったこととか。

やっぱりこれは大人も読んだ方がいいんじゃないかな。ここでいう情報処理は…いわば情報の変形であって,新たな情報の創造ではありませんとかわかってない人がごろごろいるし。

・『凡人が一流になるルール』(齋藤孝著,PHP新書603)はささっと読む。偉業をなした6人の仕事の習慣を,ミニ伝記仕立てで紹介している。いくつかはなるほどと思うし,いくつかは納得できないし,いくつかは既に自分のルールであった。確かに十代に読む伝記とはまた別の意味があるな。

・『差がつく読書』(樋口裕一著,角川書店)で語られる「読書」はとても現実的だ。「実読」と「楽読」の区別とバランス,そしてそれぞれの方法についてはお上品なお作法を守って時間を無駄にしないように,でも決していい加減な読み方にならないように考えられている。私にとっては新鮮な視点がいくつか示されていて,「なるほど,そのような読み方をしたら楽しかろう」と思わさせられた。

おや,末尾の「私の読んできた百冊」にイリイチの『脱学校の社会』が。これも縁か。

それにしても,この本に限らず一部の「実読」書に対して思うのだが,「大事なところをゴシックにする」のは見苦しいからやめてほしい。あんなことされたら線ひいて読むのに邪魔なんだ。三色ボールペンを構えていざ読もうとしたら,既にゴシックになっていて萎えたこともある(しかもそれが齋藤孝氏の本だった)。どうせやるならアスキーの256本くらいのことをすればいいのに(『腐女子彼女』でも可)。

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2009.06.17 (Wed)

iMindMap本とか

・もうすぐ『パソコンで広がる思考の翼 iMindMapではじめるマインドマップ』(伊藤賢著,インプレス)が6/26に出るというので,さっそくアマゾンで予約した。

・New's Networkの新刊も6/25に出るようだが…俺,期末テストの問題が作れたら栄のとらのあなに行って買うんだ…。

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tokoroten wrote at 2009-06-20 22:07:

マインドマップは作れるのがフリーソフトでありますよ。それを試してみては?

わたやん wrote at 2009-06-20 23:23:

有名どころはいくつか試してみました。今も急いでメモをとるときはiMindMapかfreemindのどちらかを気分で使い分けます。
iMindMapがいいのは,言葉よりも枝優先というところじゃないかと思っています。他のは言葉に枝がついていくものが多いです。うまい言葉がでてこないときにとりあえず空の枝を書いておく,というのをよくやるのですが,これが一人前の枝でないと「言葉を呼ぶ力」が弱いような気がするのです。

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2009.06.12 (Fri)

理系クン

・『理系クン』『理系クン結婚できるかな?』(高世えり子著,文藝春秋)を読む。よしたに氏の『理系の人々』が自分語りであったのに対して,これらは高世さんの目を通したものになっているということで別の視点があって興味深い。どっちにしても,N島クンの考え方に何ら違和感がないことには違いないのだが。私が理系的な思考パターンをしてるのは理学部数学科卒業の身としては普通のことなのだけど,かみさんもわりとそういう傾向にあるような気がしている。「長年つきあってるから影響うけるって」と本人は言うのだが,以前からそうだったような気がするんだがなあ。

・家に置いておいたらみんなが読むわけで…娘たちからかみさんが質問攻めにされたらしい。そういう年頃なのかなあ。とりあえず私は,指が太って入らなくなった結婚指輪のサイズなおしをしてもらおうかと思っている。

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だきわ wrote at 2009-06-13 07:45:

指だけ?

わたやん wrote at 2009-06-13 08:26:

それは言わない約束です。

だきわ wrote at 2009-06-15 13:38:

失礼しました。

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2009.05.31 (Sun)

風に舞い上がる理系バカ

・書店の店頭で『風に舞い上がるビニールシート』(森絵都著,文春文庫)が目についたので読んでみた。短編6作,最後にニヤリとさせられることを楽しんだ。まったくの悪人がいないことにほっとさせられる。描かれているのはたいてい不器用な人たちだ。

最後の表題作,簡単に吹き飛んでしまう「ビニールシート」から解放されなかったエド,そのエドが吹き飛んでいくことに我慢できなかった里佳,そしてラストシーンで使われた「ビニールシート」…ここでほろっとしてしまう私はいろんな意味で日本人なのだろうと思う。

・『理系バカと文系バカ』(竹内薫著,PHP新書)は読んだまま放置してあった。理系と文系の間のへんな壁…それを作ろうとする根拠は明治の頃と今とでは違うのだけど,そんなのつまんないよなと思えるようになる機会がないまま大人になるのは寂しいな。本書では理系のバカ,文系のバカについて述べられてはいるけど,もっと基本的なところで「分類するバカ」があるんだろうと思う。

・図書館の閉館時刻が迫っている中で大急ぎで読んだ『多読術』(松岡正剛著,ちくまプリマー新書)を改めて買った。私が身につけてきたいろいろな方法が肯定されていることにほっとしたりもする。たとえば二度読み,たとえば目次読み,例えば著者との会話…聞き役の方が「読書がコラボレーションであるというのは新しい見方だ」とコメントしていたが,松岡氏は当たり前だというし,私も常々そう考えている。音楽なら「この曲を聴くとあの喫茶店の情景が…」なんていう人はごまんといる。だったら読書だって同じように肌感覚まで含めた何やかやが読書体験として残っていいのだと思う。

せっかく買ったんだからじっくり読み直そう。

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2009.05.25 (Mon)

MediaMarker

・土曜日に名古屋ライフハック研究会 vol.2「読書ハックス」に行ってきた。ライトニングトークスでもしゃべらせていただいたり,初対面の人でもおかまいなしに話したり,おもしろい時間を過ごさせてもらった。

・さっそく紹介されたメディアマーカーに登録してみた。ISBNで登録できるのが便利でいいな。ダブり買いを防ぐには携帯から見られないと意味がないからなぁ,ということで調べてみると,登録も携帯からでもメール一発でできるし,登録パターンをパソコンからとモバイルからで違うようにも設定できるようになっている。たぶん私の利用パターンとしては買った本は自宅で登録,欲しい本は探書リストか携帯で登録ということになるだろうから,これは便利だ。そんなわけで,バーコードリーダを注文してしまった。

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だきわ wrote at 2009-06-03 08:53:

そういえば昨日
「理系クン 結婚できるかな?」を入手しました。
まさにうちと一緒。というか理系クンの考え方って普通じゃないの?

わたやん wrote at 2009-06-05 17:55:

「理系クン」読みました。彼の考え方はきわめて普通だと考えるのですが,「理系の人々」が自分語りであったのに対して,「理系クン」は彼女の目を通して語られているために,理系の私にとっては新鮮な視点が得られたように思います。だからって何か変わるわけじゃないんですけどね。

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2009.05.01 (Fri)

日本語ヴィジュアル系

・大学の一斉購入で『理科系の作文技術』を買わされたと娘が憤慨していた。とっくの昔に持ってるっちゅーねん,と。

・『日本語ヴィジュアル系』(秋月高太郎著,角川書店)はずいぶん前に読んでほったらかしにしてあった。こういうのを見てると,自分の世代は古いのも新しいのも目にすることができておもしろいんじゃないかな,って思う。もちろん私は当用漢字・常用漢字の世代だから,知ってるつもりでも知らないことが多いんだろうけどね。それはともかく,自分が意外な程にマンガ的表現に影響されてることには驚いた。確かに今の私は原稿用紙には馴染まない表現とか,小学校の作文でやったら苦い顔をされそうな表現とか,平気で使ってるもんなあ。そのくせ文法については保守的だ…中途半端なのだな。

特に面白いと思ったのは句読点に関する考察。

文末は,マルが打たれる場所以上の意味をもってしまっているのです。つまり,文末は,書き手の態度を表す記号や文字が入る場所として認識されているのです。

句読点はもともと区切り記号であって文字ではない。読みやすくするための補助記号だ(賞状などには句読点を使わない)。だからメールやブログ,ケータイ小説などのように改行で文末を表現できる媒体では旧来のテンマルは不要であり,そこに絵文字や顔文字が入るのは表現の幅を広げるというプラス要因しかない。メールに絵文字が多用されるのは文章表現の未熟によるものと考えてしまっていたが,それは新しい表現を認めない偏狭さかもしれないということか。

娘がケータイを使い始めた頃,「ちゃんと絵文字を使いなさい」と友達から指導を受けたという。パソコンメールから入った彼女にとっては,絵文字を使う理由が理解できなかったのかもしれない。

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ほった wrote at 2009-05-04 11:26:

売ってしまえば?
そういえば学校推薦辞書類を一切買わなかった。

絵文字?私は絵文字どころか顔文字すら今でも使いません。
なので、「本当にパソコン歴ウン年なの?」と聞かれること多々。
使わなきゃなんないものなの?と。

わたやん wrote at 2009-05-04 22:17:

まあ布教用とかにしてくれればいいかと。あるいは自分の子供に,とか。

>使わなきゃなんないものなの?と。
娘の友達の「常識」では使わなくてはいけないものらしいです。「パソコン歴ウン年なら顔文字ばりばりでしょ」というのと同様,押し付けは迷惑だと思うんですけどね。「使え」も「使うな」も同じ(機種依存文字の話は必要ですが)。

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2009.03.08 (Sun)

カラフルとか

・MTさんが絶賛しているので『カラフル』(森絵都著,文春文庫)を読んでみた。「生前の罪」が何なのかは序盤でおよそ見当がついてしまったので,どうやってそれを見つけるのかを楽しみに読み進めた。素敵なハッピーエンドだったと思う。できすぎたエンディング,それはメルヘンなのかもしれない。でもいいじゃない。

それとは別に心に残ったのは唱子の小林くんの世界はとっても深くて,とっても透明で,きっととっても,そこでは安全なのというセリフ。彼女の言う「小林くんの世界」はある時期の私がずっと作り上げて篭もろうとしていたのと同じものだと思った。論理によって作られた無機物の結晶体,そこにある「普遍」に憧れていたのだ。でも唱子はそれを「安全」という言葉で表現した。それはその世界が逃げ場所でもあり得るということに他ならない。私がそのことに気づいたのはかなり遅い時期だったように思う。高校の数学の授業で扱うのは前の前の世紀にできあがった話ばかりだから,その「安全」にひきこもっていることもできた。しかし情報では。そしてそのことがもたらした変化は教科教育のことだけではなかった。このめぐり合わせを誰に感謝すればいいのだろう。

ところで,えーと,この小林という名前は『おまけの小林クン』とは関係ないよね?

・IRCで友人が薦めるので『つづきはまた明日(1)』(紺野キタ著,幻冬舎)を読んだ。ほんわかである。こういうのは好き。でも各キャラクタのまだ語られてない事情がいくつもあるんだよね。まあ語らなくてもいいのかもしれないけど‐キャラクタのプライバシーを暴きまくるのはいい趣味ではない。ところで,この絵の感じが誰かに似ているような気がするんだけど…思い当たる名前が出てこない。うーむ。

・『英語の発想・日本語の発想』(外山滋比古著,NHKブックス)の感想も書いておこう。短い話ばかりなのだけど,その中で印象に残ったものを。

日本語の文章構成は△型で,英語は▽型である,というのはよく言われることだ。それを読んで,森永卓郎と尾木直樹の対談にあった話を思い出した。どちらが言ったのか忘れてしまったが,海外の大学で学んだ経済論が間違った形で日本に持ち込まれているという。というのは,大抵の場合大学の講義は大胆な仮定のもとでの経済論を語るのだが,留学したての日本人はその仮定が語られる最初の授業では耳がついていかない。ようやく耳が慣れてきた頃になって極端な論が進んでいることに気づき「最先端の経済学は日本の常識と違う」と誤解して日本に持ち帰るというのだ。私も,情報の最初の授業で多くの時間を使って行っているガイダンス的なものが生徒にうまく伝わっていないと思えてならない。生徒にいきなり▽型の話をしても受け付けにくいということがあるのかもしれない‐かくいう私自身もそうだったし。

明朝体の縦線が太いのは欧文活字が縦線中心にできていることに倣ったのではないか,だとしたら文字の進行方向が90度違うのを考慮していないのはいかがなものか,という記述があった。欧米追随である可能性を否定はしないが,それだけではあるまい。漢字は横線が多いのでそれを細くしただけではないのだろうか。もちろん漢字が作られるときに縦書きだったから横線が多くなったという可能性もあるので,ニワトリとタマゴの話のような気がしないでもないが。

私は縦書き横書きも気にしないのだけど,気にする人は確かに気にするようで,それが理由で青空文庫に抵抗があるという人もいる。『日本語ヴィジュアル系』(秋月高太郎著,角川書店)によると,オ段の長音に「う」の字を用いる理由として金田一京介は旧かなづかいでもウ音便などで定着していたことの他に,「う」という字の視覚的要素(上から下に流れる形)をあげていたらしい。後者の理由が成立するのは縦書き,しかも楷書でない流れる字を想定しているのだろう。この点に限らず,日本語の文字は縦書きを想定して作られたものであるから,横書きにはいくらかの難があるという論を私は否定するものではない。ただ,そんなことがどうでもよくなってきた人たち(私も含めて)もいるということも確かだ。その点については同書の主張とも重なる点があるのでまた後日。

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tkamada wrote at 2009-03-12 14:17:

楷書体は、あとから意図的に作られたものだそうです。
松岡正剛氏の「白川静」に記述があったような気がします。
それまでは、甲骨文字だったり金文文字だったりするので、縦線も横線も少なくて、曲線が多いのです。
明朝体って、宋代から明代に木版用に成立した文字だそうですので、それをもって欧文活字の影響云々というのは軽はずみではないかというのが僕の感想です(はるかシルクロードを経由して影響があったという壮大な話なら納得しますが)。

楷書体より先に王羲之が成立させた書(草書風の芸術的文字)があって、それへの反発から楷書体が作られているので、草書をもとに表現が成立しているという考察にはある程度の意味はあるのかと思います(ややナイーブな論という気持ちは残ります)が、どうせ文字コードに落とした時点でそのあたりはどうでもよくなってしまうので、青空文庫に意見するのも的外れな気がします。

書という点では、アラビア文字も非常に書が発達している言語なので、印刷やコンピュータ化するにあたってはさまざまな葛藤があったのではないかと思います。サウジのルピア紙幣を先日高校同級生の大使様から見せてもらったのですが、5種類ぐらいの書体が使われていました。

わたやん wrote at 2009-03-12 16:42:

明朝体ってそんなに古いんですか…そういえば「明朝」体ですね。
このあたりは「書」をやってる人だといろいろ思うことがあるんでしょうね。私は小学校の習字の時間しかやったことないし,書くのも読むのも無頓着なので,想像できることも乏しいです。

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