不定期戯言

戻る

« | 2024 | Jan Feb Mar Apr May Jun Jul Aug Sep Oct Nov Dec | »

古いページ 新しいページ

2006.11.05 (Sun)

高校教育の信用失墜

・今朝,朝日新聞を見たら「新科目『情報』,受験対策にすり替え」という記事が出ていた。さっそくいくつかのブログやmixiの日記で取り上げられていた。しかし記事を読んでみると,新潟県教委は「情報で数学など他の教科・科目との連携を大幅に取り入れていた学校が20校あった」と発表したものの、「『未履修』とは異なる」との考えを示した。なんて話もあるらしい。これでは来年からでも情報の授業をきちんとやろうという話にならないじゃないか。このままでは辰己先生が指摘しているように,高校そのものの信用がなくなってしまう。そうなってしまえば高校は大学への単なる通過点であり,高校のなすべき中等教育は何の理念もなくただ大学入試に従属するものになる。

・10/26に書いた文章Boise on mindで取り上げられていた(自分のサイトにトラックバック機能がないのがつらい)。boisewebさんは大学で教鞭をとっておられる方だと思うのだが,やはり抱えている問題は共通しているということだろうか。ショートカット症候群の根は深い。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2006.11.01 (Wed)

ジョーシン06を終えて

・自分の中に残っている疑問とかいろいろ列挙してみる。

  • 現行カリキュラムや現職教員等講習会は「ある意味」失敗が含まれていたと総括した方が次の動きに移りやすいのではないだろうか。あの時期に講習会によって免許を乱発する必要があったのは事実だが,その結果十分な力のない教員が行なった授業が「情報」という教科を誤解させることにもつながったのではないか。また,教科としての完成度が低い(内容を情報A〜Cに「分類」するところでかなりの無理が生じている)ために,意欲的な教員はそれぞれ独自内容に走ってしまい,その結果学校ごとに内容がばらばらになってしまっている現状もある。
  • 情報はパソコンの授業でもなければOfficeソフトの講習会でもない。しかし正しいOfficeソフトの使いかたを教わる所はいったいどこにあるんだろうか。ワープロでスタイルも使わず,行頭スペースと改行で整形するようなことを技術だと勘違いさせないために,最初に触れる段階で正しい教育が必要だと思うのだが。
  • 他教科の教員があいかわらず「パソコンの授業」と勘違いしているのを正すにはどうしたらいいのか。
  • 情報の授業がうまくいけば自学自習力につながるという発言があった。それはそれで正しいのかもしれないが,生徒は従前の方法以外の勉強方法を知らない。高校3年間90単位のうち情報の授業は2単位,たった2%で工夫をこらしても,残りの98%は旧態然とした授業が続けられる。
  • 未履修問題について,情報がひどい現状にあることはみんな知っている。CIECの資料で「情報を履修していない」が24%もあったのを見て驚いた人はいただろうか。しかし教員サイドからは告発できない事情がある(自校にせよ他校にせよ)。一方,教委や都道府県の調査は学校側の自己申告に頼るもので,まったく実効性に欠ける。外圧に期待するよりない。
  • 情報の未履修については,指導要録附則の読みかえが適用できるという誤解も少なくない。
  • 教科「情報」が始まる頃は各所で研究会が活発だったが,今ではすっかり静かになってしまった感がある。それぞれの学校で授業内容が安定してきたことも一因だとは思うが,発展を望むにはやはり外の声を聞く必要があると思う。学内では情報について考える仲間は少ないのだから,何も変化しないまま「お山の大将」でいられてしまう。とはいえ外に出られないのは個人の意欲の問題ばかりではなく,学校側が出張に出ることを渋ったり,あるいは他教科との兼任だと情報ばかりに時間を割けないという事情もある。
  • 教科「情報」は新しいものを学校にもたらすことができるはずだ。だからこそ我々は目障りな存在であり続けなくてはいけない。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2006.10.28 (Sat)

ジョーシン06

・あー,時間足りないっ。ほんとにこの話だけで2,3日欲しいくらいだ。今は詳細を書いてる時間がないので後日追記することにする。深夜バスでの往復も,慣れてきたのかあまり苦にならなかった。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2006.10.27 (Fri)

未履修問題

・三重大の奥村先生や,東京農工大の辰己先生のブログでもこの話が続いている。もちろんこのタイミングでこの問題がこれほどまでに大きく取り上げられるというのは何か意図があるのだろうし,そのことにも警戒しなくてはいけないのだろうけど,とりあえず便乗して教科「情報」の復権をはかるのは悪いことではないだろう…と思う。そういうわけでジョーシン06での話が盛り上がることを期待しつつ,深夜バスに乗る準備のためにさっさと帰宅しよう。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2006.10.26 (Thu)

そろそろ情報にも手が回ってきたか

・最近話題の未履修科目問題だが,情報の2単位のうちの1単位(あるいは全部)を理科や数学に回していたというケースも報道されるようになってきた。大学で新入生に向けて行なった聞き取り調査では2〜3割の生徒が情報を履修していないと回答したそうだが,残りの7〜8割にもこのようなケースが少なからず含まれているはずだ。学校の中では情報教員は(入試にあまり絡まないという点で)立場が弱く,国社数理英の教員に押し切られて単位を減らされたケースも多いだろう。これを機会に正常になればいいのだが…。ジョーシン06でも「必修教科『情報』をどこがまともにやってるの?」という緊急企画が組まれたとのこと。

・先日生徒たちの前で話す機会があったので,e-ontap事件をかいつまんで説明した後,

こういうことはインターネットでは珍しくない。「目の前のものが動いていればOKを出す」というのが仕事としてまかり通っているのが現状だ。

そしてそれは,学生時代の「先生に丸をもらえればいい」の延長にあるものだ。社会人になれば先生が上司や役所に代わるだけのことで,本質的なところは何も変わってはいない。マンションの強度偽装,岐阜県庁の裏金…世を賑わしたそれらの事件も根は同じ,誰かに自分の行動を採点してもらって丸(あるいはハンコ)をもらうことが目的だと勘違いした結果だ。君たちは自分の行動を自分で採点できる大人になってほしい。

というようなことを話した。学校自身が自分のやってることを採点できなくなったら,子供たちは何を見て成長したらいいのか。そう考えると,この一件は学校界にとっていい薬だ。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2006.10.25 (Wed)

やはり…

・昨日書いた件はミスによるものではなく,履修していない科目を履修したことにして指導要録に記載するという不正が行われていたという続報があった。教育委員会に提出した教育課程はそのように「読みかえ」を行なったものらしいので,調査書等もそれにそったものになっていて書類上はつじつまを合わせていると思ったのだが…どこから発覚したのだろう。昨夜のテレビのニュースでは,学内から指摘があったにもかかわらず直さなかったとも言っていたので,内部告発の可能性もあるような気がする。

・教科「情報」も後に続くか。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2006.10.24 (Tue)

必修科目履修せず

・冨山県立高岡南高校で,必修の世界史を履修しなかったために卒業資格が危ぶまれているというニュースがあった。これが問題になるのであれば,情報の授業をやってもいないのに単位を出してる学校も問題にしてほしいと思う。2単位必修なのに1単位だけしかやってないところもあるし。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2006.10.21 (Sat)

2006年度・第55次愛知県教育研究集会

・というわけで「情報の授業における統計の扱いについて」という発表をしてきた。(出勤しないと職場サイトの更新ができないので23日になるまでアップロードされませんが)

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2006.10.08 (Sun)

情報生産に関する小考

・職場のLibrary Express(図書館だよりみたいなもの)に寄稿した文章。

・ある教育実習生が「高校生の頃は板書をノートに取ることが授業中一番大事なことだと思っていたが,教える側になってみるとそれはほんの一部分でしかないことに気づいた」と言っていた。実は本当に大事なことは口伝されているのだが,生徒の多くはそれを記録する方法を持っていない。そのため教えられたことをオウム返しに解答することはできても,新しい問題に対するアウトプット(=情報生産)ができない。

・不思議なことだが,学校では情報生産の方法についてはほとんど学ばない。梅棹忠夫氏が著書『知的生産の技術』で「文章の教育は情報工学の観点から行なうべきであり,知的生産技術の教育のためには『情報科』という教科が作られるべきである」というようなことを述べているが,その意味の「情報科」は実現していない。だから自力でその方法を獲得するしかないのだが,自己流を編みだす前に先人たちが用いた方法も試してみてほしい。

・たとえば私は常に名刺サイズのカードを携行して,思い付きを書き貯めている。そして文章や資料を作るときには,それらを集めて『知的〜』にある「こざね法」や,大きいものなら『発想法』(川喜田二郎)の「KJ法」を用いて仕上げる。講演のメモはマインドマップ(マンガ『ドラゴン桜』で取り上げられたので知っている人も多いだろう)で取る。これについては『ザ・マインドマップ』(トニー・ブザン,バリー・ブザン)が公式本なのだが,それより『人生に奇跡を起こすノート術』の方が扱いやすいであろう。こういった方法で手を動かすことによって新しいアイディアが導かれるのは,実際にやった者にしか味わえない快感である。

・『知的〜』や『発想法』は30年以上前のものなので今となっては古い面もある。最近の良書があれば教えていただきたいし,互いに情報交換もしてほしい。しかし中には眉に唾するべきものもある。たとえば今年文庫化された『「超」発想法』(野口悠紀男)では上記したような方法を否定しているが,それは自分で改竄した「誤ったKJ法」(しかも自分でやったことがない)の問題点を論うというもので,1960年代によく見られた「誤った批判」に陥っている(同書には重要な教示も多いので,全面的に否定するものでもないが)。いくつかの方法を実際にやってみることで,やがて自分の方法を確立することができるだろう。さあ,手を動かしてみよう。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2006.09.29 (Fri)

Pop children with the new machine

・奥村晴彦先生のブログと,それに対するtss氏のコメントで紹介されていたアラン・ケイ氏のインタビュー記事を読む(PC Watchの記事,日経BPの記事の前編中編後編)。内田樹の『子どもは判ってくれない』にあった「現実が複雑なら話も複雑になるのが当然」という一節や,ショートカット症候群,そういったものが意識にのぼる。君は3個のダイヤモンドを掘りあてて,そして4個のダイヤモンドをなくしてしまう。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

古いページ 新しいページ