不定期戯言

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2008.10.12 (Sun)

古本屋にて

・車を車検に出した帰りに古本屋に寄ったらいろいろ買い込んでしまった。

  • Stardust Revue 『Best Wishes』『Secret Face』
  • 浜田省吾 『J.BOY』
  • 尾崎豊 『Last Teenage Appearance』
  • 井上陽水 『陽水ライブ・もどり道』
  • 柳ジョージ&レイニーウッド 『ホット・チューン』
  • 高中正義 『SUPER TAKANAKA LIVE!』
  • 爆風スランプ 『よい』

あとの4枚はレコードなので,来週くらいに取り込みをしよう。この週末は別のことをやりたい気分なので。

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公開したがらない人の気持ちをたぶん私はわからない

・IRCで,Kenji Rikitake氏のはてなダイアリーの記事「情報系学会の研究会で『情報系学会の研究会が危ない』理由を話してきた」を紹介された。私には学会の様子はわからないが,思うにそれは「情報系」にも限らないし「学会」にも限らないことだろう。私は彼の嘆きを,職場での私の嘆きに重ねている。

・先日の職員会議で,学内WebサーバをMoodleで運用することを宣言した。LDAPが使えるからアカウントが一本化できるとか,投稿がメールで配信されるからわざわざ見にいかなくていいとか,そういったシステム上の利点も説明したが,私が本当に言いたかったのはそのことではない。職場内で資料やそれにまつわる意見や思いが共有されずに垂れ流しになっていることをなんとかしたいのだ。

そのためにはまず,現状が良くないことに気づいてもらわないといけないのだが…これが難しい。日々のルーティンワークをこなし,各年度,各学年をこなしていくだけなら前と同じことを繰り返せば形にはなるからだ。しかし仕事をゼロから構築できない者をプロと呼べるだろうか。もちろん毎回フルスクラッチでやっていたのでは効率が悪いに決まっているが,できないからやらないのと,できるけど必要性と効率を秤にかけてやるかやらないかの判断をするのとでは全然違う。そして後者のためには資料の解析が必要であり,そのためには資料の保存が必要であり,そのためにMoodleが活用できると考えている。

たとえば成績資料は表計算のデータが残っていればいいと思っているかもしれないが,実はその前提となる雑多な情報(たとえばクラス分けの状況,試験の科目や選択問題,学習進度などは年度によって違うことがある)を踏まえて処理しないとただの数字遊びに終わってしまう。その「雑多な情報」を記憶だけに頼っている危うさに気がついてほしい。そうすれば私がMoodleを持ち出した理由がわかるはずだ。

・私は仕事のメモを「業務日誌」という形で職場内Webに残しているし,会議資料や教材,研究会の発表資料や研究資料も同様に公開している。もちろん自己顕示の思いがないとはいわないが,他の人たちの「考え」も同じように見てみたいから,その呼び水になりたいとも思っているのだ。身内びいきかもしれないが,ウチの職場には興味深い面子がそろっている。それぞれに世界を持っているから会話していておもしろい。そのおもしろい会話を茶飲み話のまま空中に離散させてしまうのはもったいない…そう思っている。

コメント(4)

賢瑜 wrote at 2008-10-22 22:19:

お初です。でも職場でお会いしているはず、です。
moodle(いやmoodleは「乗」であるので、moodleでなきゃということはないのですが)が、「実用的に動く」ことを実に希望します。

解析資料がすぐに出てこないのは
昔の貴族の日記のように持っている人(糊付けした資料のさいころ本が部屋の中にいっぱいある人)か、
稗田阿礼のような人を特権化してしまうわけで、
(たとえば、この規約、どうしてこうなったんだろう?うーん長老に効くしかないんじゃない?長老、お願いします。)

そこらへんが共有化され、電子の戸棚にきゅきゅっと「うるはしく」整理されていることが、ロス軽減に絶対役に立つと思います。実に。もう、あの資料どこいった〜あったけどつかえね〜、はこりごりです。某人は「ここは資料は自分で取っておかなくちゃいけないよ」といいましたが、それじゃあ、いかんですし、「みんなでいる」意味ないですよ。

もちろん、大切なことは口伝ピアツーピアでつたわる(授業でもつかわしてもらってます)のですし、
ぼくは、本は形だと思ってるから情報とは一線を画す部分を持つべきだ(そこに図書館と情報センターとの境界線がある)とおもっていますが。
そこんところを、夏の読書週間に込めたのですがねえ。
部長に、講演に際し、わたやん師の出陣をお願いしましたが、
突っぱねられたんですわ…
ここらへん、わかる子いると思うのですが
いや、わかる子育てていかなあかんでしょう。
(実際、「本=情報?」のテーマの標語を部長が選んだものの中に、
わかっているものは有りませんでしたし、あまつさえ、
部員が「本で情報を得よう」という趣旨の標語を一番に選んでしまったのは、実に、残念でした。)
また、お話聞かせてください。

わたやん wrote at 2008-10-23 00:53:

あ,どもども。

資料を自分でも保管するってことが大事なのはわかるんだけど,それをできなかった分が取り戻せない穴になるというのは,非常に冷たいやり方だと思うんです。持ってることが特権になってしまうみたいな(稗田阿礼というのはわかりませんが)。一度コースを外れた人が正規雇用に戻ってこられないこの国みたいな。

で,子供たちをああいうのがわかるように育てなきゃいけないとは思うのですが,その前に目の前の大人を育てないと状況は変わらないとも思っています。生徒を見てて「お前,それは勉強ってものを根本から間違ってるよ」と言いたくなることが多いのですが,時間数の少ないトクシュな教科の担当が言っても何の影響力もありません。だからこういう話を「あちら」でできるといいなとも思っています。そのためにLifehackなんてコースを作ったわけで。
あ,いや,こんなことを平気で言うから私を野放しでしゃべらせるのは危ないという判断もわかるんですよ。ええ。そういえば,だいたいみんな新人のときに読書週間の講演でしゃべるらしいんだけど,私はやってないんですよね。同期がいなかったこともあって。

私は「本=情報?」というのを見て,「?」が一番大事なんだと思ったんですけどね。そのキーワードから「本で情報を得る」を言うのは脊髄反射でできることで,「じゃあなぜ無条件にイコールにならないの」ってところを脳を使って突っ込んでほしかったなと。

賢瑜 wrote at 2008-10-23 20:39:

コメント拝見し候です。
げにげに、です。朝に立ち番しているのが、保管できない穴なんですよ。たとえば、今朝の朝礼時での情報なんかですね。これなんかが、moodleの頁を開くと、「新着情報」なーんて出てきたら、そして、panサーバーに「うるはしく」整理・アーカイヴされていたら、うれしいんですね。
(メールは滝のようなもんなので、今日のようにmoodleの投稿がメールで流れてくると、「むう?整理が大変だぞ!」な感じです。設定で調整できるのでしょうが…)

本=情報?はそのとおりで「?」に頭使ってほしかったのです。流動(無形)情報群の侵略にたいする固定(有形)情報群王朝の最後の反撃を彼らに期待したのですが…

ちなみに稗田阿礼は、『古事記』(最古本は大須観音が所蔵なのです。むふ。)を書くときに、筆者の太安万侶が頼りにした古老です。
古老の記憶を引き出すようにして『古事記』が編まれたのが、まあ、
某部会内で繰り返される長老の方の記憶手繰り大会と似ていたので…。

記憶手繰り大会システムは『日本書紀』からの六国史とは対照的に、『大鏡』からのいわゆる鏡ものに受け継がれます。
190歳のじいさんが昔を思い出すシステムです。
わたやん師が危険視する「記憶だけにたよるシステム」です。
(まあ、カムイユーカラという例もあるんですが…)

わたやん wrote at 2008-10-24 00:28:

その場にいない人に冷たいよなぁと思うことはよくあります。私みたいに体調がいうこと聞かなくて朝礼ぶっちぎるのは自業自得なのだけど。

「文化」は記憶に頼っていいと思うのですよ。それは各人の中で発酵する余地があるからまたおもしろいともいえるわけで。でも「仕事」はそれに馴染まないのです。

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いろいろ考える

・『日本人の美徳』(櫻井よしこ著,宝島社)は一つ一つの話題を短くしてあるのでさくさく読めた。櫻井氏にはなんとなく完璧超人っぽいイメージがあって敬遠していたのだが,拾い読みしてみると案外そうでもないのかもしれないな…と思ってつい買ってしまったのだ。書かれている日本観・日本人観は私の持っているものと近いように感じられた。家族のあり方,親(大人)としての厳しさ,母語としての日本語の重要性,他文化への寛容さ…これを懐古趣味とは片付けてほしくない。そしてそういった「日本人の美徳」が薄れ,社会への責任が薄れつつあることに歯止めをするために自分ができることは何だろうと思う。

昨日たまたまIRCでhttp://alfalfa.livedoor.biz/archives/51374928.htmlの>>131が話題になったのだが,この子供たちを止める要因が今の社会にあるような気がしない。雑誌の類はろくなゾーニングがされてもいないし,少女マンガの性描写は問題にさえされないし,小学生の妊娠を題材にした映画が好意的に受け止められているみたいだし(初代金八の時代とは違って,今では中学生の妊娠くらいでは話題作りにさえならない)。テレビのクイズ番組は芸能人だけを出演させることで「賢いキャラ」「バカキャラ」の断絶を強調するばかりだ。私には,それらは前段で触れた美徳を捨てて目先の金に飛びついた結果のように思えてならない。そして,子供たちはそれを見て,自分の「基準」を作っているのだ。

・『図で考えれば文章がうまくなる』(久垣啓一著,PHP研究所)を読みかけたのだが,その「図」を見てFrieve Editorが思い出された。というか,考えながらこういった図を書くことは誰もがやっていると思っていたのだけど(他人がそういうのをやってる様子を見たことないからわからない),実はそうじゃないということなんだろうか。何度も書いている話だが,小学生時代にこの本にあるように矢印とか使って社会科のノートをとっていたら先生にやめさせられたということがあった。

・後述する古本屋(のとなりの古本屋)で『データ解析環境「R」』(舟尾暢男・高浪洋平著,工学社)を購入。職場で「データを扱うなら最低限の統計の知識がないと話にならんよ」と発言した手前,自分が勉強しないわけにはいかないので。Rは簡単にわかる範囲でしか使ってなかったので,この際もう少し知っておきたい。

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