私は大学では理学部数学科に属し,教員免許も数学,現在の勤務校に奉職してからもずっと数学教師として勤めていくつもりでいた。パソコンを触り始めたのは就職1年目で,確かに私はこの分野と相性がいいということを実感はしたが,それはあくまでも教育事務の情報化のためのものだと考えていた。その過程でいくつかの研究会にも参加させていただいた。既に実践を重ねている人たちと会うことで,教育そのものの中にコンピュータやネットワークが入ってくる気配を感じることができた。
「情報」という教科が作られることになって,状況は一変した。私の中にそのシナリオがなかったからだ。最初は「自分のコピー」を作ることを想定した。しかしそれは間違いであると気づかせてくれたのは,研究会の面々から聞こえてくる実践の話であった。そっちの方が,できあがる生徒像がおもしろいのだから仕方ない。だからといってそちらに方向転換できる状況にもない。適当なゆがみに身をおくしかなかった。
私が数学に求めていたものは「普遍的な真理」だった。いろいろなことがあって,自分に自信を持てなかったことがそれを加速したのだと思う。数学の真理は何億年経っても真理でありえる,そう考えていたから数学基礎論に惹かれていった。既に確定した内容だけをまとめたブルバキは「数学の墓場」と揶揄されることもあったが,私にはそういった方向を目指す方が居心地が良かった。
ところが「情報」はそれと正反対だ。常識といわれるものさえどんどん変化していくし,そのスピードはすこぶる速い。本になるのを待っていたのでは遅すぎるということも少なくない。梅田望夫は「ウェブ時代をゆく」(筑摩書房,ISBN 978-4-480-06387-8)で,「ウェブ進化論」の書評や感想を何万件も読んで整理・分析をしていく中で
「群集の叡智」とは,ネット上の混沌が整理されて「整然とした形」で皆の前に顕れるものではなく(いずれウェブのシステムが進化すれば,そういうことも部分的に実現されるだろうが),「もうひとつの地球」に飛び込んで考えつづけた「個」の脳の中に顕れるものなのだ
ということに気づいたと言っている。ブルバキのような「整然とした形」の「知」のスタイルに固執していては,ウェブに散らばる「群集の叡智」を知ることはできないのだと。私にとって,この方向転換は今までの根本を否定しかねない大きいものだった。
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