不定期戯言

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2012.09.01 (Sat)

明日の教室

・今日は始業式。ノルマを一つ片付けて明日の教室名古屋分校の第5回へ。『人と人をつなぐファシリテーション~学校を笑顔のある場所に~』ということで,講師は小山田奈央氏。

・内容はHow-Toではなく,素になる考え方とかそういうところが中心。ファシリテータという役割とファシリテーションの違いといったことにはずいぶん考えさせられた。個人を騙すことは難しいが,集団を騙すことはたやすい。ファシリテーションの方法をそのように使ってしまっている人たちもいるというような生々しい話を聞かされると,生徒をだましちゃいかんよなぁと改めて思う。生徒を自分に依存させちゃいかんよね。

・そんなわけでスタッフの思惑通り,モヤモヤと後を引いて考えることが残った。

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2012.06.14 (Thu)

行列

・高校の新課程に行列がないことについて,togetterにまとめが出ていたので読んでみた。ずっと前から決まっていたことをなぜ今頃騒いでるんだという気はするが(大学教員の中には今頃知った人もいるようで不勉強甚だしいが),それはそれとして。

・いろいろな視点があるのは当然なのだが,今まで自分たちが積み上げてきたものをどうするという話が多い。たとえば高校教員や予備校講師は,入試問題に対応するためにはどのような内容までを押さえておかなくてはいけないという目安を(わりと共通の認識として)持っていて,それを教えきることを考えている。大学の先生方は,自分の担当する分野を教えるための前提が教えられているかを気にしている。共通していえるのは,今までやってきたことへの加除で考えているということだ。

大学入試に対応する数学や物理は妙な制約に合わせて特異な進化をしてきた。たとえば行列にしても,2次の正方行列に特化した「技法」だらけだ。おそらく今までにも新しい問題は提示されてきたのだろうけど,そのたびにそれを包括する「技法」にまとめられてきたのだろう。そうなってしまった後は,単なるパターン演習だ。

・個人的には,一次変換を絡めずに行列を扱うんだったら,扱いをやめてしまってもいいと思ってる。

コメント(2)

tss wrote at 2012-06-16 21:58:

大学の線形代数でいいんじゃないしょかね。高校じゃ、おっしゃるように操作(技法)を覚えるだけの受験勉強にしかなっていないと思います。

わたやん wrote at 2012-06-27 23:03:

正直いって,私自身も「自分が習った(あるいは一番深く勉強した)」カリキュラムでの行列の扱いに囚われているのかもしれません。あれも技法だけで済ませることができたんだろうけど,私はそれなりに深く思考した。現行の数学での行列も同じように,一次変換を欠いた状況で同じように深い思考ができるのかもしれません。でも私は「欠いた」という言葉を使ってしまったことにも顕れているように,それを実現できていません。

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2012.06.08 (Fri)

(sinx)/xの極限

・(sinx)/xのx→0のときの極限と,x→∞のときの極限はまったく別物なのだけど,区別がついてない人っているんだなあ。この形だったら比較的大丈夫なんだけど,xsin(1/x)のx→0とx→∞になるとダメな人をよく見かける。

想像力が決定的に足りないのだろうと思う。そしてそれをどうやって鍛えればいいのか。もちろん授業ではそのイメージを伝えようと苦心するのだけど,たぶんそれってノートに残らないところであり,解答の「清書」に残らないものだから,彼らはスルーしちゃってるんじゃないのかなぁ…なんてことを思う。

・何年か前,学校の何かの文書の中で授業で一番大切なことは口伝されるみたいなことを書いた。そのことは何度でも生徒の前で言った方がいいんだろう。

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ほり wrote at 2012-06-11 01:01:

こんにちは。
おっしゃるとおり「授業で一番大切なことは口伝される」と思います。
繰り返し、繰り返し、また、強く印象に残るように言うことが伝授の根源かもしれません。
聞いた話ですが、小出監督はQちゃんに「3キロのところに穴ぼこがあるから気をつけて」と毎回言ったそうです。Qちゃんは、そんなことわかっているのに、なぜ監督は毎回同じことをいうのだろう、と思ったそうです。ところが、あるとき、監督がいませんでした。その時初めてQちゃんは、「3キロの穴ぼこ」を思いだし、監督が何度も言い続けた意味を理解したそうです。

数年前?「本」を書きたいと思ったことがありました。随分たくさん言葉を連ねました。でも、本当に言いたいことは文字に出来ない、文字にしても、肝心なことはやはり伝わらない、と身にしみてわかりました。
ひょっとしたらソクラテスが書物に嫌悪感を感じたのも似た理由かもしれません。
イマドキの生徒は、模試の「解説」を読むことを勉強だと誤解しているフシがあります。これが真の意味での勉強になり得ない理由は、自分で考えない、といこと以外に、解説は口伝になりえないから、と言うのもありそうです。

わたやん wrote at 2012-06-12 23:14:

Qちゃんの話はおもしろいです。言い古された表現だけど,「染みこんで」しまうんですね。
勉強会でいろいろな方の話を聞くとき,「本で読んであることでも,生で話を聞くとわかりやすいなあ」と感じます。私は本を読むことは著者との対話だと考えているのだけど,それはあくまでも自分の脳内仮想著者であって,現実の著者はやっぱり別のことを考えているものなのだなあ,と。

「解答読解」がダメだというのは某予備校の先生が書かれた「脱・解答読解」に詳しく述べられていて,私もあちこちで紹介しています。アレは勉強じゃないというのは同感です。解説は口伝ではないから…というのは考えていませんでしたが,その要素もあるのかもしれません。たとえば生徒は挙手したり発言したりしなくても,教師にフィードバックを送っています。教師はそれを受けながら話を調整していくわけで,いくら丁寧な解説プリントを作っても同じことはできません。

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2012.06.05 (Tue)

風呂敷

・といっても風呂敷残業の話ではない。先日からあちこちで(といっても職場内の)広げてる風呂敷のこと。内容の詳細は書かないけど,要は学校における知的活動に目を向けようということ。そのための場を作ろうという提案をぶちあげた。ある意味では他の人たちに「あんたら,わかってないよ」と言ってるのと同じことなので,ずいぶん傲慢な言い方ではあるのだが,私なりに考える「学習」が自分を慰めるだけのものではないだろうという問いを投げてみたい。

・この考えをまとめるにあたって,先日TIC総会併設講演会で聞いた『ジョブズ伝説』著者の高木利弘氏の話に背中を押された気がする。この講演会に行くかどうか迷っていたのだが,なんとなく行った方がよさそうな「予感」がしてた。それはこういうことだったんだなあ。

コメント(4)

だきわ wrote at 2012-06-06 02:01:

ああ、傲慢でいいと思いますよ。
だって以前からの教科も今までゴーマンかましてきたんだから。

わたやん wrote at 2012-06-06 09:50:

教科も分掌も,あるいは「学校」というもの全体がタコツボ化してるよね,というところに何かを投じたいのです。

だきわ wrote at 2012-06-06 10:28:

「学校のタコツボ化」は師匠の木岡さんも言ってました。
「タコツボ」の中にいるのが楽なんだもの。

わたやん wrote at 2012-06-12 23:18:

生徒たちをいい大人にしたいし,外国との競争にも負けてほしくない。そのために効果のあることをやりたいなあ。大学に入れたらよし,ってことじゃなく。

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2012.05.19 (Sat)

あたり・はずれ

・某質問掲示板を見ていたら,回答者によって答えが2つに分かれていた。数学の問題で,あきらかに片方は間違っている。そこで一人が「答えが分かれていますが,私と○○さんが当たりです」と追記した。ちょっと待て,「当たり」って何だよ。

・生徒はよくテストの答えが合っていたことを「あたった」と表現する。もちろん当てずっぽうを書いたのがたまたま正解だったということもあるだろうから,その場合に「あたった」は適切な表現だ。しかし考えて書いた答えに「あたり」「はずれ」はないだろう。「正しい」「誤り」でなくてはいけないはずだ。なのにどうして彼らは「あたり」「はずれ」と言ってしまうのか。おそらく「○をもらえるのは,先生が予期した答えを推測して言い当てたときである」というように考えてしまう「体験」があったからではないだろうか。

・Facebookで谷川先生の投稿を見て,そんなことを思ったのだった。掛け算の順序もそうだし,習ってないけど知ってる漢字を使わせないという指導もそう,「何が正しいか」よりも「どう答えるか」が優先する場所が学校だと思ってしまった子供たちにとって,学校は力をつける場所でなく単に評価をもらう場所に成り下がっている。そうなるとテストなんてものはただのクイズにすぎない。その結果,茂木健一郎がtwitterでよく言ってるように,入試だってお手々つないでちぃちぃぱっぱのお作法競技になってしまっている。

・教えられたことを忠実にアウトプットすることが「勉強」だなんて,人の能力をどれだけスポイルしてるんだか。

コメント(1)

だきわ wrote at 2012-05-19 15:06:

実はテストで評価されるのは教員の方なんですけどねえ。

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2012.05.14 (Mon)

やりたいやつはやる

・やまもとさをんさんのブログに「『イラストが描けないからマインドマップが描けない』なんて,ホントはあなたは思っていない」という記事が出ていた。「イラストが描けないって,本当はやりたくないから言い訳にしてるだけでしょ」とズバッと斬りつけている。よく言った!

・いつも思うんだけど,「○○したいんですけど,何から始めたらいいのかわかりません」という質問って,たいていはそういう嘘だ。本当にやりたい人だったら,わからなくても何か始めてしまうものだ。もちろんそれは正しくなかったり効率が悪かったりするもんだけど,でも動き出さずにはいられない。最短コースを歩けば確かに早いんだけど,どのコースでも進んでしまえば「コースを選ばずに止まっている」よりずっと早い。

・生徒を見てると,完成品ばかり求めてるような面が強くて,気持ちが悪いことがある。竹本泉の『てけてけマイハート』で,家の間取りを(普段PC使いまくってるお母さんがCADとか使わずに)手書き図面でやってる理由を「試行錯誤の経過が残らないといい家にならない」みたいに言っていた。ノートでも試行錯誤は残っていいんだけど,なんだかその部分さえキレイに残したいみたいなところがあるし,キレイなノートをよしとする記事もある。バカみたい。試行錯誤なんてぐちゃぐちゃに決まってる,ぐちゃぐちゃはぐちゃぐちゃに書くしかないんだ。ノートにしても教室にしても「間違っていいスペース」だということの方が,キレイであることよりもずっと大事なこと(もちろん教室美化というキレイは大事)。

コメント(3)

tss wrote at 2012-05-16 11:10:

私のゼミは「~をやりたいんですけど、、、」って言ってくる学生は入れてあげません。「やりたいのにやっていないってことは、やりたいんだとは認められない」といって追い返します。

文庫老 wrote at 2012-05-16 21:32:

 色々なことをするには人生は短すぎるので、優先順位が低いけれどやりたいことは、「何から始めたらいいのかわかりません(効率のよい方法を知りたい)」となっても仕方がないと思う。
 優先順位が低かったら、止めるというのもありでしすが。

わたやん wrote at 2012-05-19 11:44:

優先順位の低いことについては適切な判断だと思いますし,高いことであっても合理的な判断ではあります。でもそれを「やりたいこと」と言うのはちょっと違うんじゃないかな,と。もちろん合理性を考えれば,先に下調べしてから動くことはいいことです。でもそんなの吹き飛ばすような「やりたい」に突き動かされるときの「やりたい」と,合理的な判断で導かれた「やりたい」は違うだろう,後者は「やった方がいい」じゃないのか,とか思ったりもするのです。

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2012.05.07 (Mon)

試験勉強ってよくわからない

・昨日の記事にはいくつか反応をいただいた。もともと職場で振る話の草稿でもあったので,ちゃんと職場内LANからリンクしてみた。さて,反応はあるだろうか。

・結局大事なのは@smasuda氏のツイートにもあるように,解き方のわからない問題に立ち向かえる力だ。もちろんそのためには,答えが用意されている状況で「解く」ということを練習しておかないといけないわけだけど,その先があるってことや,今できていることはほんの小さい箱庭の話だということをわかっておいてほしい。

・どうやら私は試験勉強というものがよくわかっていない。どうしてそんなものが必要なんだろう。もちろん試合前の調整みたいなことは必要だと思うよ,でも生徒を見てるとこの時期になってから素振り始めるみたいなのがいてわけわかんない。ひょっとしたら,それほど無駄にできる時間があることがうらやましいのかもしれない。

コメント(2)

だきわ wrote at 2012-05-09 11:48:

そういえば昔懐かしい2種情報処理技術者の試験はまったく対策せず、いつもの仕事をしてたら受かった。

わたやん wrote at 2012-05-21 13:52:

二種は問題集買ったけど,開かなかったなあ。

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2012.05.06 (Sun)

「主要教科」というイヤな言葉

・何かを主要というってことは,他のものが主要でないということ。正しく「受験教科」って言えばいいのに,と思う。そうすればずっと「主要」と言ってきた理由が「受験」のためだということがよくわかるし,受験に関係ないものは主要でない,つまり学校生活で大事なことは受験なのだという「思想」がはっきりする。

コメント(4)

だきわ wrote at 2012-05-07 06:26:

やっぱり腫瘍教科?

わたやん wrote at 2012-05-07 09:31:

「良き大人」を育てたいのに,やってることが「良き受験生」の育成だというのではちょっとね。
もちろん学習面以外の教育効果は否定しないけど,学習面が受験生としてのそれだけしか要求しないというのでは貧しすぎる。

だきわ wrote at 2012-05-07 17:29:

ああ、わかるわかる。
受験を目標とするか受験を単なる指標として見るだけで目標は別にあるとするか、かな。うーん、うまく言えないな。
今の某学校は「受験ロボット」を作ってる。それより「受験もうまく乗り越えられるよき人」になってくださいってことか。(よいって何だって話もあるけど)

わたやん wrote at 2012-05-08 09:12:

たとえば https://twitter.com/#!/smasuda/status/199498746390777856
みたいなことだったり,あるいは勉強をすることができるという能力だったり(成績がいいという意味の「勉強ができる」じゃなくて,勉強という行為ができる)。

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2012.05.02 (Wed)

シンキングツール

・黒上晴夫先生(関西大学)のサイトで公開されているシンキングツールの解説本が話題になっている。「考えることと制約条件」の項に書かれている内容は,こういったツールを常用する者の実感だ。「自由に考える」というのはお題目としてはとても美しいが,実はとても難しいことなのだから。何もない平原に放り出されて途方にくれて時間を無駄にするよりも,用意されたコースという「制約」に沿って動くことで「考え癖」をつけるのがいい。

・氏のサイトを久しぶりにみて,NHKの番組「テストの花道」の監修をされているということを知った。よくシンキングツールが取り上げられていて,スタッフがよく勉強しているのだろうなあと思っていたのだが,バックに黒上先生がいるのなら至極当然のことだ。

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2012.05.01 (Tue)

部活

・29,30日は総体の名北予選…といっても,私は技術的な指導ができるわけでもないので,試合中ただひたすら念を送るだけなのだが…疲れた。今日一日それでへたってた気がする。さて,明日が終わったら3,4日は新人戦だ。その後は休みなのでなんとかふんばろう。

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