不定期戯言

戻る

« | 2024 | Jan Feb Mar Apr May Jun Jul Aug Sep Oct Nov Dec | »

古いページ 新しいページ

2008.02.17 (Sun)

授業改革フェスティバル

・表題のイベントが行なわれるので安城学園高校に。私は授業プリントと,そのデータと関係するフリーソフトを収録したCD-R(持ち帰り可)を展示した。プリントのデータだけなら1.38M程度なので最初はFDにしようかと思ったのだが,枚数あたりの単価はそんなに違わないし,だったらCD-Rにしておいて空き容量にOOoのバイナリとか入れておいたら宣伝になるかなと。25枚用意したCD-Rは22枚減ったようだ。

・午前中は情報科教科懇談会の講演。聴衆は教室いっぱいになって,資料が足りずにコピーしにいったほどだった。このような機会にいつも思うのは(特に今回のような内容だと),自分がずっと数学だけを担当していたら,その枠の中で受験のための成績を上げることばかりに集中して,外に目を向けようとはしなかっただろうということだ。といっても,他の数学教師を批判しているのでない。いわゆる「主要教科」(あー,やだやだ)を担当していると,それだけで完結してしまうことが容易だというだけだ(そしてきっと私はそれに埋もれてしまっただろうと)。そうなってしまう人を責められるかというと難しい。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2008.02.15 (Fri)

マスコミ人はまだこのレベルなのか

・毎日jpの学習指導要領案:40年ぶり授業増 「3.14」完全復活という記事に

また、ゆとり教育批判のやり玉に挙げられた小学校算数の円周率について現行の「3.14を用いるが、目的に応じて3を用いてできる」という規定を「3.14を用いる」に変更。

という記述がある。平成10年の学習指導要領改訂のときにこの「3を用いて〜」を取り上げてマスコミや受験産業がネガティブキャンペーンをしたせいで,いまだに間違った印象をもっている人が(教育関係者にさえ)いるし,「ゆとり世代」は必要以上に肩身の思いをさせられてしまった。しかしこの記述は少なくとも平成元年の学習指導要領にはあったものなのだから,これをネタに「ゆとり批判」をするのが見当違いであったことは言うまでもない。やり玉にあげられたというが,誤解を元にやり玉にあげたのは自分たちマスコミ人だろう。見出しといい,引用した部分といい,上記の記事は同じ愚を繰り返すものに思えてならないのだが…そんなわけで毎日jpにはその真意を問う投書をしてみた。返事はくるだろうか。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2008.01.03 (Thu)

数学から情報へ

・私は大学では理学部数学科に属し,教員免許も数学,現在の勤務校に奉職してからもずっと数学教師として勤めていくつもりでいた。パソコンを触り始めたのは就職1年目で,確かに私はこの分野と相性がいいということを実感はしたが,それはあくまでも教育事務の情報化のためのものだと考えていた。その過程でいくつかの研究会にも参加させていただいた。既に実践を重ねている人たちと会うことで,教育そのものの中にコンピュータやネットワークが入ってくる気配を感じることができた。

・「情報」という教科が作られることになって,状況は一変した。私の中にそのシナリオがなかったからだ。最初は「自分のコピー」を作ることを想定した。しかしそれは間違いであると気づかせてくれたのは,研究会の面々から聞こえてくる実践の話であった。そっちの方が,できあがる生徒像がおもしろいのだから仕方ない。だからといってそちらに方向転換できる状況にもない。適当なゆがみに身をおくしかなかった。

・私が数学に求めていたものは「普遍的な真理」だった。いろいろなことがあって,自分に自信を持てなかったことがそれを加速したのだと思う。数学の真理は何億年経っても真理でありえる,そう考えていたから数学基礎論に惹かれていった。既に確定した内容だけをまとめたブルバキは「数学の墓場」と揶揄されることもあったが,私にはそういった方向を目指す方が居心地が良かった。

ところが「情報」はそれと正反対だ。常識といわれるものさえどんどん変化していくし,そのスピードはすこぶる速い。本になるのを待っていたのでは遅すぎるということも少なくない。梅田望夫は「ウェブ時代をゆく」(筑摩書房,ISBN 978-4-480-06387-8)で,「ウェブ進化論」の書評や感想を何万件も読んで整理・分析をしていく中で

「群集の叡智」とは,ネット上の混沌が整理されて「整然とした形」で皆の前に顕れるものではなく(いずれウェブのシステムが進化すれば,そういうことも部分的に実現されるだろうが),「もうひとつの地球」に飛び込んで考えつづけた「個」の脳の中に顕れるものなのだ

ということに気づいたと言っている。ブルバキのような「整然とした形」の「知」のスタイルに固執していては,ウェブに散らばる「群集の叡智」を知ることはできないのだと。私にとって,この方向転換は今までの根本を否定しかねない大きいものだった。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2007.11.20 (Tue)

階乗の計算

・1から100までの整数の総和を求めるプログラムを改造して,10の階乗を求めるプログラムを作成せよ,という課題を出した。

整数 s,k
s ← 1
kを1から10まで1ずつ増やしながら
  | s ← s*k
を実行する

となるわけだが,生徒から1から10じゃなくて,2から10でいいんじゃないですかと質問があった。ほほぉ,なかなかおもしろいツッコミをするじゃないか。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2007.10.28 (Sun)

フリーソフトウェアと高校生

・昨夜名古屋でFSIJとSEAが共同で行なった例会「自由ソフトウェア活動、フリーソフトウェア運動、そして Happy Hacking」の打ち上げで,高校生にFLOSSの話ってどうなのみたいな話がでていたらしい。正直なところ,生徒達のソッチ方面への興味がどうなのかというのは全然掴んでいない。本稿の情報教室で利用しているソフトウェアはすべてオープンソースなものばかりなのだが,だからどうだという話をまだ生徒にはしていない。

・以前,著作権を本当に意識させるためには,生徒にクリエータとしての体験をさせるのが有効という意見を耳にしたことがある(初期の授業で「作品」を作らせることがここで生きてくる)。同じようにオープンソースのことを意識させるためには,どういった手段が有効だろうか。今はちょうどアルゴリズムの授業でプログラムを作っている。できあがったものをちょっと書き換えておもしろくするという体験はかなり多くの者が勝手にやっている。その延長にもっと広い世界があることを話したいんだが。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2007.10.27 (Sat)

ジョーシン07

・大人の都合だとか,教える側が教えられることだとか,教える側が教えたいことだとか,そういうもので教える内容が決まってしまってる状況は困ったものだと。

・阿部圭一氏が示した「高校情報教員に望む背景知識」は,私の思っている方向とかなり近いように思われた。情報の科学的理解の文系的要素が体系化されていないといいつつ,必要と思われることを「情報の科学」と称して13項目あげていた。その中には数にまつわる事柄も多く含まれていたのですべて「文系的」のカテゴリに入れることは適当でないが,その多くは重要なわりに高校までの「理系的」分野で充分には教えられていない(私はそれに強い不満を感じる)ことだ。教科書に採用されるかといったらたぶん難しいんだろうけど,どこかで盛り込まれてくれないかと。

・終わって外に出ると,台風の影響で暴風。私の傘も骨が折れてしまったのでホテルにこっそり置き忘れてこようかとも思ったのだが,しっかり記名してあるので仕方なく持ち帰ることにした。いや,ほんとにゴミを置いていこうと思ったわけじゃないけど,秋葉原の駅前にふきだまっていた大量の傘の残骸を見るとつい。

覚書:新宿のかめや(そんな有名な店だとは知らなかった)では,天もりがおすすめだとのこと。

傘の柄秋葉原駅

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2007.10.25 (Thu)

学年通信に書いた小文

・予定されていた記事の後の余白に「フリー(自由な)ソフトウェア」という文章を書いてみた。記名はしてないのだけど,生徒には誰が書いたか丸わかりだろう。

・2学期の情報の授業ではプログラムを作っています。見て回っていると,表示に使う「合格」「不合格」という文字列を「俺様天才!」「追試だ…orz」とかに書き換えている人を何人も見かけます(中には,簡単な占いのプログラムを作っている人もいました)。これはほんのたわいない遊びですが,実はプログラムそのものが手元にあることから得られる「自由」の活用でもあるのです。

・どんなソフトウェアもソースコード(授業で書いているような,プログラミング言語を使った手順書)からできているのですが,ほとんどの市販プログラムではそのソースコードを入手することはできないので,修正することはほとんど不可能です。

・一方,インターネットの基盤を支えてきたソフトウェアの多くはソースコードが公開されています(フリーソフトウェア,オープンソースソフトウェア)。それを多くのハッカーたちが改良や修正を加えて進化させてきたのです。筆者も自作プログラムに対して修正案を送ってもらったことや,逆に送ったことが何度かあります。こんなやりとりを通して,プログラムやプログラマが成長していくという「文化」がインターネットにはあるのです。学習開発研究所の三輪吉和氏が「オープンソースの本当の良さは『論よりリスト』と言われるようにもっとも基本となる情報を公開した上で,過去の履歴,失敗,成功を包み隠さず議論できる点にある」(吉田智子著「オープンソースの逆襲」からの引用)と言っているように,隠し事をしない文化によって得ている自由は厳しさを含む一方,きわめて透明かつ爽快なものです。Web2.0が期待している「集合知」は,このような自由を前提として成り立つものであるはずです。

・27日の午後に,フリーソフトウェアに関する活動で有名なg新部裕氏,Richard M. Stallman氏の講演が予定されていますので,興味ある人はその「自由」の雰囲気に触れてみるとおもしろいでしょう。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2007.10.03 (Wed)

次期学習指導要領にむけて

・中教審の方で話が進んでいる様子。数学もまたいろいろ入れ替えがあるようだ…数学Bに「統計的推測」というタイトルを見かけて嬉しくなったが,このあたりはまた内容を選択できるということなので,入試に出題されない限りまた放置されるのだろう。

・どうせ大学とかでいろいろ調査研究するようになったらやり方を勉強せざるを得ないのだから高校でやらなくても,という考えもあるのかもしれない。でも,高校までの勉強は枠組みがきっちり決まっているので,その科目の勉強が純粋にその科目のためのものとして,すべてが「わかるための勉強」として成立する。しかし大学以降(就職してからも)ではそんな単純な話ではなく,別の科目のために「使うための勉強」の比率が大きくなるように思う。統計はその典型的なものだろう。

「わかるための勉強」と「使うための勉強」を比べると,後者では基本的な考え方や定義などが不正確になりやすいのではないか。少なくとも私にとってはそうだった。必要なところの拾い読みで済まそうとしてしまうので…。そう思うと,統計についてもその基本の基本は高校までに触っておいてほしいのだがなあ。何が「基本の基本」なのかは意見が分かれるのだろうけど。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2007.09.18 (Tue)

いろいろ

・小学校の算数に台形の面積などを,中学校の数学に二次方程式の解の公式などを,それぞれ復活させる案が出されているらしい。理科でもこれに似た話が出ているようだし,やっぱりあの内容の削り方には問題があったということなんだろうか。

・あれは「いじめでなく犯罪」という発言。このようにきちんと断ずることは重要だと思うが,普通に「いじめ」と言われていることにも犯罪は少なくない。被害者が自殺したから云々ということでなく,行為が犯罪であればそれはもう教育の範疇で収めることではないと思うのだが。

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

2007.09.16 (Sun)

小学5年生が学ぶ「情報」

・平成教育学院を見ようと思ったが,NHK教育の「わくわく授業」で表題のテーマをやっていたのでふと目が止まった。百科事典で人口について調べさせ,発表させる中でそのデータの読み方やソース,調査日などが重要であることに誘導していく。そうして,小学生が表に書いてある数値だけでなく,そういったところまで踏まえて議論する様子を放映していた。いいもん見せてもらいました。

・ネットでそれっぽい資料を検索して丸飲みしてる生徒や学生や大人は,この小学生にカンペキに負けている。(もちろん,担当教師の誘導がうまいということではあるのだけれど)

コメント(0)

コメントの受付は終了しました。

古いページ 新しいページ