辰己先生の研究雑報で,今週のAERAの記事「携帯オンリー デジタルプアの壁」の話題があったので,買って読んでみた。表紙はアンジェラ・アキ。AERAって,電車の中吊り広告のダジャレしか目に入ってなかったからなあ。
さっきテレビで,マックやネットカフェに寝泊まりして日雇い派遣で食いつないでいる若者の特集をしていた。週払いに切り替えてまとまった金額を受け取れるようにしたいのはやまやまだが,その間の食い扶持をつなぐ費用が捻出できないという。AERAの記事にも,パソコンが使えれなければ時給の安い仕事を受けざるを得ない,かといってパソコンを買って勉強しようとしてもその資金がない,そんな風に携帯日雇いスパイラルから抜け出せないという状況が書かれている。発展途上国の子供にありがちなこのスパイラル(学校に行かせた方がいい仕事に就けることはわかっていても,目先の労働力として使わざるを得ない)が,この国の青年にも起きているというのだ。
ふと,内田樹の「下流指向」に
文化資本は統計的には正規分布してないんですから,下の方の階層の人は文化資本が豊かに備わっている日本人が存在するということ自体を知らない
から,文化資本の階層は拡大する一方だと述べられていたのを思い出した。「上流」を知らない「下流」には,文化を得るためのモチベーションさえ得る機会がないというのだ。
いくら携帯が進化したとしても,携帯でできることとパソコンでできることが同じレベルになるとは思えない。情報を有機的に処理して生み出すという点では後者に多くの利があると私は考えている。その「利」を知らないまま育った者にとっては,パソコンが携帯電話以下の存在にしか見えなくても仕方ないのかもしれないが,それが自分を「下流」に固定してしまうことにつながる危険性を知る機会くらいはあっていいと思う。高校の教科「情報」の中で,その助けができればいいのだが。
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