不定期戯言

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2008.09.01 (Mon)

子供は理系にせよ!

・気楽に読むつもりで『子供は理系にせよ!』(大槻義彦著,NHK出版)を読む。過剰な理系賛美はわざとやっているということなのでよしとする。なるほど,彼の反オカルト活動の根拠はそういう経緯があってのことだったのか。オカルト的なものに惹かれるにしても,基本的な科学知識を持った目で見てほしいと私も思う。テレビで理科っぽい実験に「エェェェエ」という声がかぶるときの多くは「そんなこと高校までの理科で習っただろ」って感じで白けてしまう。

・気になる点があった。大学の理系学生に対して「理系を選んだ動機は何か」というアンケートを行なったところ,家族の影響,先生の影響が多く,科学館や科学実験イベントの影響という回答はほとんどなかったという。後者が少ない理由を「継続されないから」としているが,そういったところに継続して連れていくような親なら日常的にも影響を与えているので,「家族の影響」の方に数えられてしまっているのではないだろうか。そういえば私も小さい頃,何度か名古屋科学館に連れていってもらったなあ。展示物をそれとわからずにおもしろがっていたが,後から思うとそのときに植え付けられたイメージでずっと残っているものも多い。もちろん氏が言うように単なるマジックショーに終わっている面も少なくはないのだろうけど。

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2008.08.27 (Wed)

情報のみかた

・買ったままほったらかしにしてあった『情報のみかた』(山田奬治著,弘文堂)を読み始める。だいたい半分まで読み進んだ。新書の類はかなり急いで読むのだが,この本はゆっくり読んでみたい。というのは,自分のために読んでいるというより,これを読ませたい相手がどう読むかを考えてみたいからだ。あとがきには「小学6年生でも読めるようにしたが,大学生にも読み応えがあるだろう」と書いてある。なるほど,ここに書かれていることの多くは学校で習わないことだ(統計に関して現実に役に立つ部分は特に)。とはいうものの,大人になってから読むのでは遅すぎると思う。

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2008.08.25 (Mon)

古本

・18日の夜,難波の近くをうろうろしていたときに立ち寄った古本屋で『続考える技術・書く技術』(板坂元著,講談社)を100円で購入。アメリカ人の文章力が低下しているという記事が「ニューズウィーク」に掲載されたことから話が始まっている。記事では

  • テレビが原因
    • 読み書きの時間が減少
    • 自分で何かを作り出そうとする習慣を失う
  • 学校で書くことを教えなくなった

といったことを原因としてあげているというが,これは30年近く前のことで,最近の本でもこういう論調を見かける(その原因がテレビから別のものに変わっているだけで)。

教育は,本来人間を保守的にするものだ。保守的というのは政治上の保守主義を意味するのではない。生活や文化の諸方面で,外からの刺戟に感覚的に反応しないのが保守的なのだ。

そのためには,まず書くことだと。

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2008.08.18 (Mon)

退屈力

・また(略)近鉄の車内で『退屈力』(齋藤孝著,文藝春秋)を読む。依田九段の『プロ棋士の思考術』のところでも書いたこととも通じるけど,この本はタイトルで誤解されそうな気がする。中を読めばわかるのだけど,タイトルと帯だけ見た人は退屈に我慢することを「退屈力」と言ってるように誤解することが可能だからだ。念のため,71ページの説明を引用する:

明らかに退屈に感じることを我慢するのが「退屈力」なのではない。傍から見れば退屈に見えるようなことの中に,当人が退屈を感じずに喜びを見出していく力,それが「退屈力」である。

例によって主張するところは私の思うところとおよそ近いが,いくつか改めて気づき直したことがある。たとえば身体的なものを信じることの重要性もそうだし,私が今まで集中してやってきたこと−たとえば数学とかMIDIの打ち込みとかプログラミングとか−にあったのは,やはり「退屈力」だったということもそうだ。

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2008.08.17 (Sun)

教え力

・紛失したのでcoletoの3色ボールペンを新調した。それを持って『齋藤孝の相手を伸ばす!教え力』(齋藤孝著,宝島社)を読み始めたが,既に大事なところがゴシックになっているので線がひきづらい。むぅ。

・また齋藤氏の本だなぁとは思うが,最初の方のエピソードに目をひかれたのでつい買ってしまった。中国武術の達人と対談したときに,「日本人は教えられに来たがる」と言われた,つまり日本人は習いに来ている時間だけを練習だと思っている(中国では教室でヒントをもらって自分で練習する)というのだ。これは日本の学校が効率よく機能していたことにも理由があるのだが,逆にいえば生徒が学校べったりでなくなっている今は,「学校で抱え込む」「自分で勉強させる」のどちらに舵をきるか腹をくくらないといけないんだろうと思う。

全体的には考えの方向はそんなに違わないかなと思う。

・それはそうと,帯の「ぶんこちょ」がかわいいなあ。
ぶんこちょ

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2008.08.16 (Sat)

感じない子ども こころを扱えない大人

・買ったまま放置してあった『感じない子ども こころを扱えない大人』(袰岩奈々著,集英社)を読む。もやもやした気持ちとかネガティブな気持ちとかを,ないことにしてしまわないことが大事なのは言うまでもないのだけど,ある決まったプロトタイプに押し込めてしまうのがまずいというのも重要なことだと思う。そんな気持ちは大抵めんどうくさいものなので,さっさと片付けてしまいたい,そのための落ち着き場所としての「正解」を求めてしまっていることを危惧している。

・秋葉原の通り魔事件があったとき,いくつもの「分析・解説」がマスコミに投じられた。しかし,こういった事件に「意味」を持たせることがよくないと池田信夫氏は言う(内田樹氏はそういいながら解釈しまくってるような…)。そこでは模倣犯を生む(実際その後の「犯行予告」はかなり多かったように思う)ことが理由として述べられているが,同書では「解説」に納得をすることで自分の中に本来おきているはずの不安や恐怖を封じ込める(=向き合うことを避ける)ことを問題にしている。人間そんな単純なものじゃないのに。自分ってものがどろどろしてることくらい,認めておいた方が楽なのに。

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2008.08.05 (Tue)

プロ棋士の思考術

・だいぶ前に読んだのだけど,読み返そうと思ってカバンに入れっぱなしになっている。『プロ棋士の思考術』(依田紀基著,PHP研究所)。去年くらいに日本棋院のサイトにエッセイを書くという話が出てすぐ消えたのだけど,そこで書こうとしていた内容なのだろうか…荒れていた頃の話とか,民主党の小沢代表への肩入れの仕方とかが,日本棋院で掲載するには不適当と判断されたのかな。

・同じ年の生まれという親近感も手伝ってか,いろいろ「わかる」ような気がする。最初の方に「いい手を繰り返して無意識に落とし込めないと本物じゃない」とあるのは,私が数学でいつも思っていることだし。最後の方の「学問には『正解』があるが社会にはない」の項にはいくらか異論があるが,これは依田氏と話した「高学歴の人」の答えに難があるから仕方がない。確かに社会に出たら答えがない仕事をしていくわけだが,学校で答えを導くのはそのための思考を訓練しているということだ。それは決して「高学歴の人」がいうような忍耐力ではなく,上述した「無意識への落とし込み」なのだがなあ。もちろん今の教育がそのために最適化されているとは思わないから,我々は模索を続ける。生徒の立場だったら定石でかなりの場面を切り抜けられるだろうけど,我々の立場ではそうはいかないのだから。

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2008.07.08 (Tue)

スティーブ・ジョブズ 神の交渉力

・ここんとこやたら多忙なのだが,なんとか『スティーブ・ジョブズ 神の交渉力』(竹内一正著,経済界…ってすごい名前の出版社だな,ISBN 978-4-7667-1048-9)を読む。すごいとは思うが,参考になるような気がしない。キャラクタが違いすぎる。

・ある研究会を引っ張っている人物がいる(リンクまで張っておいて名前を伏せても意味がないが)。彼にも相当の強引さはあるし,危なっかしい面も多分にあるが,ジョブズほど無茶な人物ではない…と思う…多分…自信はないが…。しかし「こいつの考えることはおもしろい」「一緒にやっていけば新しいものが見えてくる」と思わされるという点は共通している。

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2008.06.14 (Sat)

やさぐれぱんだ

・娘が『やさぐれぱんだ1』(山賊著,小学館,ISBN 978-4-09-408207-4)を勧めるので読んでみた。癒される。ちとここんとこ,気分的にささくれだっていたので,少し楽になった。芸風的にも少し通じるところがあるような気がする。

・『自殺うさぎの本』『またまた自殺うさぎの本』(アンディ・ライリー著,青山出版社)も置いていったが,表紙からして痛そうなのでパス。

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2008.05.24 (Sat)

たまってきたな

・『オタクはすでに死んでいる』(岡田斗司夫著,新潮社,ISBN 978-4-10-610258-5)の「貴族」という考えはよくわかる…ような気がする。武士は食わねど…みたいな?

・『視点をずらす思考術』(森達也著,講談社,ISBN 978-4-06-287930-9)は著者が言うほど変わった意見ではないと思う。というか,これを異端だと思うような世間だったらいやだなあ。確かに私もオウムに対してはマスコミが用意した「嫌悪感」に引っ張られていたところはあるが。

・何かの研究会かセミナーで『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三著,光文社,ISBN 978-4-334-03426-9)から引用した一文が印象的だったので読んでみた。といってもずいぶん前のことなのでどの一文だったのかはもう思い出せないのだが。正直いってサッカーにはほとんど興味がないのだが,サッカーだけの話にしておくのはもったいない。この本でいう「エリート」は『オタクは〜』でいう「エリート」でなく「貴族」だ。エリートであるためには「なんとなく」に流されて生きていてはいけない。そのために必要なこと−精神性だけでなく,アウトプットを行うことの重要さとか−が語られている。サッカーに限らず教育全般で大事なことだ。文中に元フランス代表監督のロジェ・ルメール氏の

学ぶことをやめたら,教えることをやめなければならない

という台詞を引いているが,これもこの職業の者としては忘れてはいけない言葉だ。

日本で生徒を見ていると,カシコイヒトが正しいと決めた解答を答えなくてはいけないという縛りにとらわれているということを強く感じる。間違ってるかもしれないと思うと口を閉ざしてしまう。自分はどう考えたのか,それを引き出したいと思うのだけどなかなか難しい。そこで他人と違った意見をもつことを『視点を〜』では「KY」と呼んでいるのだと思うが,それがあるから他人と話すのがおもしろいというのに。それは「エリート」であることとは関係ない。

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