古本屋で「アイ・ロボット」(アイザック・アシモフ著,角川書店,ISBN 4-04-280903-0)が目に止まったのでつい手にとってしまった。「ロボット工学の三原則」でこれだけの話ができてしまうのか。わりと小気味よい物語だった。ミステリや数学みたいな面白さを感じた。最後のエピソードにあるような葛藤というか損得勘定みたいなのは,よく考えることだったりする。ロボットが高度になるにつれてブラックボックスが拡大してしまうという進め方が,普通といってしまえば普通なのだけど。
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「思考の整理学」に続いて「読みの整理学」(ともに外山滋比古著,筑摩書房)を読み終えた。最初に出てきたテーマを何度も使っておもしろく読まされてしまった。アルファ読み,ベータ読みという考え方については,私自身苦い思いがある。たとえば英語の文章にはベータ読みされるべきものが多々あるわけだが,それをずっとアルファに近いところで読もうと努力してきたのだ。特に高校までの英語のテキストならそれで十分対応できてしまうので,そのために自分は英語が得意だと勘違いしてしまっていた。
しかし同時に,つねづね思ってきた「私の理解の遅さ」についても納得することができた気がする。今まで未知の分野について素読に近い読みを繰り返して「ああ,効率が悪いなあ,俺」と嘆いてばかりいたのだが,それはベータ読みなのだから時間がかかって当然なのであり,実行して結果が得られていればそれで十分なのだと。
帰り道に「サ・イラ」を聴きながら思った。洋楽を聴くのって,けっこうベータ読みっぽいんじゃないかなあ。
本屋に「本は10冊同時に読め」という文庫が出ていたので少し立ち読みした。3色ボールペンに対する批判は少し的をはずしている感はあるが,その主張したいところはわからないでもないのでこだわらない。数ページしか読んでいないので間違っている可能性は高いが,何冊もの本を同時並行で読むことによってそれらが頭の中で反応を起こすことを期待しているという感じだろうか。その考え方はすごくわかるのだ。たとえば同書と3色ボールペンの本と「読みの整理学」はわりと近い時期に読んでいるので,その主張を見比べることができる状態にある。それらを実行・比較しながら自分のスタイルを作っていけばいいのだろう。
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カミさんの(自粛)歳の誕生祝いということで谷山浩子様の「フィンランドはどこですか」をアマゾンで注文したのだが,ついでにということで「Xen徹底入門」(宮本久仁男・大島孝子・平初・長谷川猛著,翔泳社,ISBN 978-4-7981-1447-7)を買った。Xenについては気になっていたのだが,基本的な概念がわからないでいたのでどうしていいやらわからなかったのだ。で,CHAPTER 2までしか読んでないのだが,そのあたりの問題が解決したのでよしとしよう。ここから先は実マシンを用意してやりたいのだが…それだけのスペックのあるマシンがない…。
いくつかの誤植が目についたが,正誤表はまだ作業中のようだ。
ところで,この本をオライリーの習慣にならって「テラマック本」と呼ぶのはアリだろうか。
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ようやく「三色ボールペンで読む日本語」(齋藤孝著,角川書店,ISBN 4-04-378601-8)を見つけたのでさっそく読んだ。もちろんボールペンを片手にである。三色ボールペンの使い方は同著者の「原稿用紙10枚を書く力」に触れられていたのでそれ以来ちょくちょくやっているのだが,やはり言い出しっぺのやり方はきちんと知っておくべきだと思っていたのだ(ブザンの方法からはずれた「マインドマップ」の解説が非常に多いことに閉口していることも,そう思わせる一因であった)。
やはりこの本は読むべきであったと思う。自分の線の引き方は今までかなり「ひねくれた」ものであったことを自覚できた。そのひねくれた部分を緑線でカバーしておけば,正直な気持ちで青や赤の線がひけるということだ。そう考えるとずいぶん楽になった。
あとがきで,著者自身も最初は4色ボールペンを使っていたと言っている。やっぱり赤青緑の三色って一般的じゃないよね。
追記:さっき「〜書く力」を見直したら,線の引き方を誤解していた理由がわかった。この本には後で引用できる部分など重要な部分は赤,次いでまあまあ重要な部分を青
とあるのだが,これでは青の気軽さとか赤の重みがわからない。また,主観(緑)・客観(赤青)という点についても述べられてない。
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ちと時間ができたので「ルポ最底辺](生田武志著,筑摩書房,ISBN 978-4-480-06377-9)を読む。ホームレスに対する攻撃があることは知識としては知っていたが,これを読んで状況の一片はわかったような気がする。逆にいえば,これまでそれを私が理解していなかったということでもある。事態は以前に書いたことの相似形ではあるかもしれないが,倍率はずっと大きいように思われる。
わかりやすいのは227ページの「カフカの階段」だろう。ホームレスに落ちるまでにはいくつかの段階(セーフティネット)があるのに,それがぼろぼろになっている今では,そこから戻ろうとするには一気に数段飛ばしをしなくてはならないということ(それは無理)だ。たとえば生活保護を受けるには定住所が必要だと役所は言うが,定住所が持てるなら彼らはとっくにホームレスでなくなっているのだ。役所が紙に書かれたルールにしたがってママゴトをしている間に,「網」からこぼれた彼らはどうしようもなくなっていく。
正直いって,この状況にやりきれない思いは感じるものの,具体的にどうしていいのかわからない。著者のように具体的な行動を起こすには今の生活が重すぎる。それ以前に,自分の中の彼らに対する評価をまだ修正できないでいる。とりあえず今は,この現実を自分の胸に置いておくことにしよう。そうすればこのさき自分の目に飛び込んでくるニュースを,今までと違った視点で見られるだろう。
ちょうど降り立った駅で「The Big Issue」を売っていたので,読んでみることにするか。
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途中まで読んでた本を自宅に忘れてきたので,病院の待ち時間に「大人が知らない携帯サイトの世界」(佐野正弘著,毎日コミュニケーションズ,ISBN 978-4-8399-2476-8)を読んだ。私は純然たるPC派で,携帯派の実状を知らないので,ちょっとでも入り口をながめておきたいなということで。両派がそれぞれの世界で閉じているというのはなんとなくわかった気がする。IT戦士もインタビューで携帯の世界に入っていけなかった(いかなかった)ことをストレートに語っている。
今でもPCにしかできないことがあるという考えに変わりはない。だけど,何かまだ両方がたどり着いてないところがあると思うんだよな。
というわけで,試しに携帯サイトの世界に浸かってみようかと思ってデータ定額とかあどえすとかのカタログを見たのだが…なんとなく踏みきれない。
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「工学部・水柿助教授の逡巡」(森博嗣著,幻冬舎,ISBN 978-4-344-41039-8)を読んでいて驚いた。なんと,水柿君にはフルネームがあったのだ。「〜日常」には出てこなかったと思うぞ。
カミさんがミステリ好きなので,森博嗣とか綾辻行人とか京極夏彦とかの文庫本が我が家には大量にある。で,私も読んでみようかと思って手を伸ばしたこともあるのだが,まだ1冊しか読んでいない。やはり小説は苦手だ。あれ,「工学部〜」は小説だったな,そういえば。
「誰のためのデザイン?」(D.A.ノーマン著,野島久雄訳,新曜社,ISBN 4-7885-0362-X)の第1章まで読んだ。機能を詰め込んだという自己満足に溺れてはいけないのだなと自分に釘をさしておく。
第2章の冒頭に,デザインが悪いために起きる操作ミスがあったとき,ユーザが自分を責める
ということが書いてある。そしてユーザが自分の手落ちだと思ってしまったがために,デザインが悪いという報告があがってこないというのだ。これはエンジニアにとってもユーザにとってもマイナスなのだが,でもそんなことはよく起きる。インタフェースだけでなく,もっといろんな層で起きている問題だ。
おや,齋藤孝って「声に出して…」だけじゃなくて3色ボールペンで本を読むことについて説明している本の著者でもあったのね。しかし,赤青緑の3色ってそんなに一般的じゃないと思うんだが…私が使ってるのは(黒を含めた)4色だし。
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先日病院の待ち時間に「原稿用紙10枚を書く力」(齋藤孝著,大和書房,ISBN 978-4-479-30073-1)を読んだ。「声に出して読みたい日本語」の著者でもあるらしい(「音読すると文章の生命力がわかる」というくだりが気になって略歴を見た)。私が自発的に文章(人に見せるものではないが)を書くようになったのは中学の頃だったろうか。だから書くことが考えることにつながるというのは自分なりに実感としてわかる。この本には心がまえっぽい話もいくらかあるが,アウトプットのための読書やメモから文章構築に至る方法などはそのまま使える話だと思う(3色ボールペンの使い方も含めて)。自分の思考を強めるために読みっ放しにすることが多かったのだが,それでは時間がもったいないというのだ。なるほど,反省。
深夜バスを降りてからの時間を利用して「情報編集力をつける国語」(藤原和博・重松清・橋本治著,筑摩書房,ISBN 978-4-480-42371-9)を読む。この本に書かれているようなようなコミュニケーションやCritical thinkingは,「情報」を担当している人からよく聞くような気がする。最近の国語の授業ってどんな風なんだろう。
3つの要素を組み合わせて物事をとらえたり考えたりすることをすすめている。2つではダメで,3つがいいのだと。前述の「原稿…」でも3という数字にこだわっている。
第3章の古典講座(橋本)は確かにおもしろいんだが,この本の中でどういう意味があるんだろう…いや,ほんとにおもしろいので,収録されてたことは嬉しいのだけど。
さらに時間があったので,早稲田の55号館のベンチで「明文術」(阿部圭一著,NTT出版,ISBN 4-7571-0196-1)を読み始めた。これは奥村先生のブログでみかけてずっと気になっていた本なのだが,ずいぶん寝かせてしまった。まだ半分しか読めていないが,わかりやすく,実用的だ。文章を書くための方法を意識して私が読んできた本の多くは古いものばかりだった。だから生徒にどれを薦めるかというと最初の一冊に困っていたのだが,この本をスタートにすれば解決しそうな気がする。我々がかつて読んできたような名著への案内もしているし。
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「最高学府はバカだらけ」(石渡嶺司著,光文社新書,ISBN 978-4-334-03419-1)。帯のマンガで学生に「つーか,教授,レポートの答え,ネットにないっスよ」と言わせているのがおもしろくて気になっていたのだが,オブジェクト脳@kcgでも話題になっていたので読んでみなきゃいかんなと。前半に書かれているいろんなことがダメダメだという話はまあいいとして(あんまり目新しい話はないし),気になったのは最後にかかれている「化学反応(在学中に学生が急成長する)」だ。かなり前に金沢工大で学生の面倒を細かく見ている話を聞いて,そのときは「なんでもういい年になった大学生の面倒をそこまでみてやらなきゃいかんのだ」と思ったのだが,今はそれが必要な状況があることを認めなくてはいけないのだと。そしてそれは,あきらめていない意志の表現なのだろう。
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