不定期戯言

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2007.10.10 (Wed)

はみだしっ子

・なぜか我が家で三原順の「はみだしっ子」が読まれている。学生時代にカミさんから借りて読んだのが最初なのだが,改めて読んでみると,自分がこのマンガ(特にグレアムのモノローグ)から受けた影響は思いのほか大きかったのだということに気づく。作った当時には意識していなかったことなのだが,「Street Meetingのための覚書」はこれの延長にあったのだということがようやくわかった。

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2007.08.18 (Sat)

マンガでわかる統計学

・しばらく前に買ったまま放置してあった「マンガでわかる統計学」(高橋信著,オーム社,ISBN 4-274-06570-7)を読む。マンガで話を進めてる分,読みやすくはなっているけど,わかりやすくはなってないという印象を受けた。でもきっと著者は承知の上でこういう表現をしているのだろうと思う。というのは,たとえば「検定の結論の表現」で「有意で(ある|ない)」という表現をわざと使わなかったことをこう説明しているからだ:

「有意である」の意味するところが分からないということはつまり,確固たる帰無仮説と対立仮説を立てぬまま「検定」をその人はおこなっていると考えられます。

たしかにpが0.05より大きいかどうかで帰無仮説と対立仮説のどちらかが正しいと言いきってしまえれば話は単純になるし,読んだ人も満足感を得やすいだろう。しかしそれは間違いなのだ。適当にごまかしてわかったような気にさせることもできるのに,それをしなかったという点でこの本を評価したい。

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2007.08.17 (Fri)

創造性の科学

・先日帰省したときに,アマゾンの古本で買った市川亀久彌先生の「創造性の科学」(日本放送出版協会)を持っていった。というのも,この図版に見覚えがあるような気がしたからだ。親父とか兄貴がこういった本を好きだったから,ひょっとしたら実家に昔あったんじゃないかと思ったのだ。で,兄貴に聞いてみたところ,見覚えはあるが,家じゃなくて小学校の図書室じゃないかとのこと。なるほど,あの図書室ならそれは十分ありえる話だ。

・部屋の東側の本棚が9(文学),西側がそれ以外という区分けになっていて,私はいつも西側にしか寄り付かなかった。そこで読んだ本が電子工作や天体や理系分野への後押しをしてくれていたのだけど,単純に「理系」というだけではなかったということか。何もない田舎で,特別に得たものは何もないと思っていたけれど,確かに私はあの地で育まれたのだった。

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2007.06.21 (Thu)

道徳教育とやら

・tss氏に影響されて買った本は,まだ読めてないものが多い。「現代社会の理論」(見田宗介著,岩波書店,ISBN 4-00-430465-2)をかなりゆっくり読んでる(そうしないとわからなくなる)が,どれだけ時間がかかってしまうやら。

・で,それとか積ん読の山は置いといて,手近な「対話のない社会」(中島義道著,PHP研究所,ISBN 4-569-55847-X)を読み終えた。自分が普段から感じる窮屈さというのはつまりこういうことなのだなと思った。それはたぶん

I am OK.
You are OK.
Both are OK.

の最後を

We are OK.

にしてしまってることについてskyさんが「それだとOKなのはあくまでもWeという一人称じゃん,『他』や『異』を受容せずに他人を尊重できるわけがない」というようなことを言ってたのと通じているのだろう。Bothならそこに対立や対話が残るからいい(新しい解決を生み出す可能性がある)のだけど,Weになってしまうと(おそらくこの国では)対話を圧殺する空気に支配されて何も言えなくなる。その停滞した空気がたまらなくいやだ。自分が死ぬまで(あるいは退職するまで)もたせられればいいという立場の人ならそれも一つの選択だが,自分の後の世代を考える仕事がそれでは話にならない。

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2007.06.10 (Sun)

裁判官の爆笑お言葉集

・昨日は深夜バスで東京についてからフォーラムまでずいぶん時間があったので,通りがかったコンビニで「裁判官の爆笑お言葉集」(長嶺超輝著,幻冬舎,ISBN 978-4-344-98030-3)を購入して読んでいた。タイトルに「爆笑」とあるので実は敬遠していたのだが,読んでみると取り上げられている言葉の多くは考えさせられるものや,じんとくるものだった。裁判官も,我々と同じ社会に生きている人間なのだな,と感じさせられた。

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2007.04.20 (Fri)

生き抜くためのピタゴラ装置

・ピタゴラ装置DVDの2冊めが出ているという話をきいたので,帰り際に本屋に。ついでに「生き抜くための数学入門」(新井紀子著,理論社,ISBN 978-4-652-07823-5)も購入。さっそく読んだが,これも生徒に読ませたいな。「とは」や「なぜ」の力が鍛えられていないという話や,論理や説明の能力の話,無限の話,そして最後に語られる「論理の限界」の話。これを誰かに教えてもらえることは幸福なことだと思う。

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2007.04.07 (Sat)

基礎からわかる情報リテラシー

・奥村先生が書かれた「基礎からわかる情報リテラシー」(奥村晴彦著,技術評論社,ISBN 978-4-7741-3080-4)が4/10に発売されるらしい。中身はまだ見てないからわからないのだけれど,技術評論社のページに書いてある「この本の概要」が気に入った。

「情報リテラシー」とは、情報活用についての基本的な能力を指します。私たちが身につけなければならないのは特定の製品の使い方ではなく、情報社会での「生きる力」(変化に対応できる力)です。目の前にあるコンピュータがなんであれ、「使い方を習っていないので何もできません」では困ります。説明を読めば使い始めることができる力をつけるには、単なる使い方ではなく、基本的な知識が必要です。

ちょうど今,情報の最初の授業で行なうガイダンスのプリントを作っているところなのだが,この文章を使いたいなあと思った。今までのガイダンスでも松浦敏雄先生「よしだともこのルート訪問記」第38回(1998.03)で語っておられた

(略)私はコンピュータ・リテラシ教育の目標を、「新しいソフトウェアに対する適応力」、「自分で問題解決できる能力」、「計算機をどのように利用するか(否か)を判断できる能力」を養うことだと考えています。

現状では、多くの大学や短大が「ワープロ/表計算ソフトウェアの使い方を教える=リテラシ教育」と考えているため、「教えられたソフトウェア以外は使えないし、使おうとしない学生」を生み出してしまっています。本来の大学教育は、概念を理解させて新しいソフトウェアと出合ったときの適応能力を高めるためのものです。

を引用して,この授業が目指しているものが何であるかを説明してきた。どちらの文章も,私が考えてきたこととまったく一致するのだ。どういうことかというとつまり…と説明しようかと思ったが,引用した文章に共通することの繰り返しになってしまうので書いても仕方ない気がする。

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2007.03.22 (Thu)

畑村式「わかる」技術

・「畑村式『わかる』技術」(畑村洋太郎著,講談社,ISBN 4-06-149809-6)を読み終えた。なんだか前に一度読んだような気もするのだが,畑村氏の別の本とつながってる内容は確かに多いので気にしないことにする。「わかり方」について基本的な方向はそんなに遠くないと思ったが,いくつか特に注意をひかれたことがあった。

・記録のとり方については,この本を参考にしてみるのもいいと思った。手帳を白いままにしておくのもつまらないし。

・対象を論理的に理解することなく,経験や記憶だけでさばこうとする人がいる。本文中で「経験主義の誤り」といって批判していることであり,私も職場でそういう仕事のやりかたに苛立つことが多い。氏も工場見学をして気がついたことを指摘すると

ところが,管理主義に陥っている会社の場合は,単に第三者がどう評価しているかということばかりが気になるようです。(中略)単なる欠点の指摘と受け止めるにとどまっているのが残念です。

ということがあるというのだが…その体験は私も何度かしている。

以下,愚痴。私は一部の人には「恐い人」と思われてるみたいで,怒らせないようにという感じで指示をあおいでくる人がいるのだが…違うだろ。お互いその仕事で飯を食ってるプロなんだから,それぞれの立場で言うべきことがあるだろ。どうして上司でもない私がそちらの仕事の指示を出さなくちゃいけないんだ?それは自分の側の怠慢だということに早く気づいてくれ。

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2007.03.10 (Sat)

1000年

・そんなわけで「千年,働いてきました」(野村進著,角川書店,ISBN 4-04-710076-5)と「3001年終局への旅」(アーサー・C・クラーク著,早川書房,ISBN 4-15-011347-5)を読み終えた。「千年〜」の方では,西欧的な合理主義じゃない部分がいくつもクローズアップされていた。そういう共同体的なセーフティネットという感覚は今後どんどん失われていくのだろう。この本で言っているのは「老舗だからいい」ではなく,「こんないい老舗がある」だ。いろいろな無理とか短いスパンでは無駄でしかないことを許す地盤があることは幸せだと思うし,それが許されないために先細りになるのはもったいないとも思う。

「3001年」はなんだかあっけないラストだったのだけど,それ以前のところがおもしろかったのでよしとする。

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2007.03.07 (Wed)

下流志向

・先日待ち合わせの時間つぶしに入った本屋で「下流志向」(内田樹著,講談社,ISBN 978-4-06-213827-7)を見つけた。この本の主題だという「学びからの逃走・労働からの逃走」を現象としては知ってはいるけれど,その理由づけが自分では十分にできないでいたこともあって,つい買ってしまった。で…この本ではある種の「合理性」によってその理由づけができてしまうことを説明している。その「理由」を自分のものとして理解することはできないと思うのだけど,それよりも私はその「理由」の先にある世界を想像してただ悲しくなってしまう。学ばないように「努力」している子供たち…それが怠惰ではなく努力なのだとしたら,私はなんのためにもがいているんだろう。

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