不定期戯言

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2010.07.28 (Wed)

教員免許更新講習

・放送大学のを受けている。ようやく「教育の最新事情」の分が終わった。しかしまだこれから残ってる分の方が多いんだよなあ。

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2010.07.19 (Mon)

愛知サマセミ

・昨日は愛知サマーセミナーで「Rを使ってみませんか」という授業をやってきた。大人を想定して説明文を書いたつもりだったのだが,高校生や中学生も来てくれていて,いささか戸惑い。会場のPCに勝手にRをインストールするわけにもいかないのでDebian LiveにRを追加したCDを持っていったのだが,その起動で一騒動。受講者同士でフォローしあってくれたのでいくらか助かった。授業は…結局ターゲットを絞れないまま突っ走ってしまって消化不良だらけ。持ち帰りのCD-Rを帰ってから使ってみてくれると嬉しいのだが…。

コメント(3)

だきわ wrote at 2010-07-20 09:22:

行けなくてすまぬ。
どこかにisoイメージきぼんぬ。
僕は3日目の鈴木和幸先生のお話を聞きました。
やっぱりがっこの先生がまず統計的な見方を身につける必要があるなあと考えます。

わたやん wrote at 2010-07-23 10:54:

今日の正午から7月いっぱいくらいまで
http://www.meigaku.ac.jp/~watayan/etc/binary.iso
に置いておきます。
私は3日目のその話は聞いてないのですが,教師が統計の目を持たなくてはいけないというのは同感です。おまいらその回帰直線とやらをどれだけ信用してるねんみたいなことが(略)

だきわ wrote at 2010-07-27 00:01:

ありがとう。実物もいただいてありがとう。

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2010.06.24 (Thu)

○○をやっておけば…

・期末テスト前最後の授業が終わった。今回は少なかったのだが,いつも多い質問は○○だけ覚えておけば何点とれますかというものだ。聞かれても答えようがない…そんな計算なんてしたことがないんだから。大体からして私は「○○だけやっておけば」みたいな勉強を勉強とは思っていない。そんなことをしても,自分の身体からはなれたところで知識の断片をこねまわすだけで,何も(自分も外界も)変化しない。それは時間の無駄だ。

コメント(8)

わたやん wrote at 2010-06-25 00:15:

ほりさんのブログの「感性を育てる」にも通じる話かな。
http://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/e/866c0011886fca3e01ed804473902417
そういう感性がないと,自分で勉強するってことができないと思うんだ。勉強と見間違えやすい「作業」で満足する人ならそれでいいのかもしれないけど。

tss wrote at 2010-06-25 08:35:

そういえば、ゼミの採用面接で何を訊かれるか、あらかじめ教えてもらえませんかぁと言ってきた学生がいたなぁ、、、orz (面接不要で終了)

わたやん wrote at 2010-06-25 09:07:

「面接ではぜひこういうことを訊いてください」だったらいいんですけどね。

だきわ wrote at 2010-06-25 11:49:

青白い線の細いお坊ちゃん的な学生さんが「面接ではぜひ僕の○○○爆発しろ論を聞いてください!」と言ってきて、面接時にクラウザーII世さんの格好で来て、まあ理想論であってもガンガンぶち上げてきたとしたら、僕だったら即合格させますです。

わたやん wrote at 2010-06-25 16:41:

そこで「ちょっと試しにコード書いてみました」とか持ってこられたひにゃ…

だきわ wrote at 2010-06-26 05:50:

「デスメタル」なコード進行? CとかC#とかAdaとかで書いてあるんだろうか。

ほった wrote at 2010-06-28 09:35:

代理コードばかり弾いていたので正しいコードフォームわすれちゃったよ。
ま、「苔の一念岩をも通す」なので、『モノ』に因っちゃ『○○だけ』でも良いんだろうなぁ。
でも『いろいろやる』のが勉強(練習)なんだと思ったり。

わたやん wrote at 2010-07-02 18:15:

両方あるのを知ってて,得られるものと失うものを見極めた上で,一方を選ぶのはいいと思うのです。

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2010.06.09 (Wed)

万能薬

・さまざまなアレルギー反応を抑えこめる蛋白質を筑波大で発見したというニュースを見た。アレルギーや花粉症の薬というとそれぞれの症状に特化したものがすぐれているみたいなイメージを持っていたのだけど,この研究が進めばアレルギー全般に効果のあるものができるのかな。

・で,ふと教室で行なわれている授業に思いを移行する。我々が与えているもの,生徒が求めているものが,個別の症状に特化したものをあれやこれや数多く,ということになってはいないだろうか。ほりさんが「目に見えない構造」という記事で指摘している「野村方式」もそういうことだと思う。まるでフォームも定まらない選手にホームランの打ち方を教えるようなやり方,それは対症療法の寄せ集めにしかならない。なんだか基礎体力とか基礎練習とか,そういうのがないがしろにされてる気がするなあ。能力を高めることの基盤って,教科の枠とか関係なしにあるものだと思うのだけど。

コメント(4)

だきわ wrote at 2010-06-10 10:09:

ということで、僕はうちの職場で「基礎学力が重要」という人に、「基礎って何?」とか「学力って何?」とか「重要ってどのくらい?」とか言って嫌われてます。

わたやん wrote at 2010-06-10 18:05:

私はそこまでのことはしてないけど,なんかみんな疲労しちゃってる感じがしてつらいのでなんとかならんもんかと思ってはいます。

だきわ wrote at 2010-06-10 21:40:

いっそ職場の庭でバーベキューでもしたらどうだろう?

わたやん wrote at 2010-06-10 22:12:

落葉で焼き芋とかしたことはありますが(教頭が),最近はそういうのも難しいんでしょうね。

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2010.05.02 (Sun)

岡田斗司夫氏のノート術

・岡田斗司夫氏がやってる「ひとり夜話」の「ノート術」を見てみた。夕飯をはさんで全部一気に見たのだが,いい。発想法好きな私向けにしゃべってるんじゃないかと思うくらい。

・ノートの効能として「人前で話せる」「文章が書ける」をあげているが,これは非常によくわかる。ノートであるかカードであるかブログであるか,それは人によるだろうし,方法による効果の違いはあるだろうけど,こういう小さい私的なアウトプットをすることの効果だと言えるのではないか。我々は外部にアウトプットをしてなんぼの仕事だ。そのためにこのような私的なアウトプットを繰り返しておくことが準備になる。そうしないとすぐに忘れてしまう…風呂場で思いついたメロディのように。

・以下,動画を見て面白いと感じたことなどのメモ。

「楽しい」を重視してるのもいいな。

頭は工場じゃない…効率を重視しても無理をかけるだけ。頭は農地なんだから土壌をいい状態にすることが大事。

助走段階
その日にやったことを名詞と動詞で書く。適したノートが売ってないから日付のある手帳を使ってしまうというのはどうしてなんだろう…と思ったのだけど,助走で書く分だとこのくらいの分量になってしまうからのようだ。

離陸段階
採点する。0~5。マイナスはつけない。そのうち1点,2点のことは自然とやらなくなる。そういえば中学のときにつけてた日記には好きな歌ランキングを毎日ずっと書いてたな。

上昇段階
ここまでの段階では自分にしか影響が及ばない。まわりへの影響を及ぼすのはこの段階以降があるから。ノートを大きくする。右側が論理や考え,左側が面白いこと。採点や「やったこと」はもう必要ない。考えたことでノートが書けるようになる。24時間持ち歩く。「なぜ」を突き詰めていくときに,裏をとったり正解を調べたりするのはしない方がいい,というのは面白い。これは演習問題だから自由に発想を遊ばせること。「どうして自分はこれが気になるか」を最後に考えるといい。左ページでは自分にしかわからなくていい。イメージを遊ばせる感じ。確かにこれをやるには「書き癖」がついてないとしんどいだろう。そのための助走・離陸段階なのだろう。

「頭のいい人はジャグリングの名人」というのはわかるな。私は凡人だからノートとかカードとか道具を使う。あの人(誰)やあの人(誰)は頭が良すぎるからそういう風に道具を使うやり方を著書で否定していたけど,私にそんな無理な注文をしないでほしい。

そういえば岡潔先生も発想ノートみたいなことを言っていたと思う。高校生の頃に読んだ記事だからあまり覚えてないけど,「毎日新しいページに書く」ことが大事だ,ということを主張されていたと思う。その頃は1日1ページ消費されていくことがもったいないと思っていたので受け入れられなかったけど,今ならわかる気がする。

「学べること絶対量の法則」はすごくわかる。プライドが邪魔してしまって素直に受け入れられないのではつまらない。

巡航段階
思いつきやアイディアが仮説や意見になる。これが財産であり,これを生み出すことが目的。脳内にリンクが作られるようになる。

再加速段階
アウトプット。人に話す…ノートを見せながらがいい。おもしろいことを書けないうちのブログはS/N比が低い。そういえば今年の最初2ヶ月くらいブログを毎日埋めることに挑戦してみたが,どんどん薄くなっていって自分でも面白くなかった。三つの世界…社会・電脳・ノート。社会と電脳は他人と差がつかない。ノートによって深度ある世界が作れる。

・ちょうど@nakano_lab氏がノートの話をtwitterでしていた。コクヨのドット入りノートナカバヤシのスイング・ロジカルノートにはあまり興味をひかれない。学研のコーネルメソッドノートは自分では使わないかもしれないけど,ちょっと気になる。自分が生徒や学生だった頃にはこういう形でのいわゆる「整理されたノート」を作ることにまったく興味がなかったのだが,それはその当時扱っていた情報量が整理しなくても済む程度のものだったからだったように思われる。

コメント(2)

のぐー wrote at 2010-05-03 08:38:

>適したノートが売ってないから日付のある手帳を使ってしまう
コンビニとかに、A6とかの小さいノートが売ってませんか?
コンサートのMCのメモによく使いますが。

わたやん wrote at 2010-05-03 12:24:

私もその説明を聞いたときにそれを思いました。普段読書ノートでA6使ってますし。岡田氏の説明を聞いて,助走段階ではウィークリーくらいのやつの方が分量が手頃だということのように思われました。小さいノートの1ページでやると空白が大きすぎて,埋めなくてはいけないという思いに圧迫されて続かないということを危惧してるのかな,と。

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2010.04.01 (Thu)

緊張

・新年度である。名簿の集約とかしているのでここ十数年はこの時期ほとんど休みがなかったのだが(と言いつつ研修とかで抜け出したことはあるが)この3月は日曜を含めて3連休をとった。そんなわけで心機一転。

・名簿の方は落ち着いているので授業準備の方を進める。やっているとだんだん緊張が高まってくる。ここ数年ずっと高1の担当なので毎年新しい生徒を相手に授業をする。それを思うと…何年たっても,気が楽になったりはしないものなんだなあ。

コメント(5)

文庫老 wrote at 2010-04-01 22:32:

 てっきり、高1->高2->高3->高1 というように、巡回するのかと思っていました。

わたやん wrote at 2010-04-02 00:45:

それが基本なのですが,学年が固定されている科目を担当しているとその学年に固定されてしまうのです。

だきわ wrote at 2010-04-02 15:34:

僕も高1固定です。今年の高1は4年前と同じような感じで色々と大変です。

わたやん wrote at 2010-04-02 20:26:

4年周期ということは…冬季五輪の影響ですか?

だきわ wrote at 2010-04-04 16:30:

ええ、そんな関係です。
詳しくは今朝の新聞でも見てくださいませ。うちの卒業生と今度入学するはずの人が載ってますよ。

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2010.02.25 (Thu)

オタクな学校

・注:決してアニメがどうとかいう意味でのオタクではない。ていうか,私だってここ何年かアニメ見てないし。ほんとだってば。

・注:ここに書いてあることは飲んでる席の話であって,決して学校の方針ではない。

・気の置けない同僚と飲み。ラフな話もあれば,ディープな話やアレな話もあった。中でも,バランスのとれたオールマイティな生徒を育てることもあっていいけど,何らかの方向にとんがった生徒を育てるキャパシティがうちの学校にはあるんじゃないかという話にはだいぶ考えさせられた。そこから先の話はさすがにここに書くわけにはいかないのだが,ある程度それはアリだと思う。

コメント(2)

乙口 wrote at 2010-02-26 01:52:

紳士は紳士でも
変態紳士が多い
うちの学校

わたやん wrote at 2010-03-01 22:24:

変態紳士…何かで聞いたことがあるような気がしないでもないのだけど思い出せない。私は紳士度が低いのでだいたい安心です。

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2010.02.21 (Sun)

e_textbook

・twitterの#e_textbookで,プログラミングも基本的なリテラシだろ,って話がでている。正直いえば,本校でやってる程度のプログラミングは小学校あたりでその「感覚」に触れさせてあげてほしいと思う。今までの学校教育は紙の上でやれることばかりに制限するあまり,何かと不自然な体系になってしまっていることが多い。その不自然さを飲み込むものわかりの良さを押し付けることが,学校のオベンキョウのお作法として重視されすぎている気がするのだ。紙の上で動きを考えるのは高い能力を必要とする,それをもっと自然な形で多くの生徒にイメージさせるためにはプログラミングの力を借りるのがいいと思うんだが。

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2010.02.19 (Fri)

よく働いた

・今日は1日じゅう試験問題を作っていた気がする。生徒は先輩から去年の問題をもらってたりするから,ネタがかぶらないようにしないといけないし。

・twitterに「俺,試験問題を作ったら新井素子の新刊読むんだ…」とつぶやいたような気がするけど,ちょっと小説な気分じゃないので別の本を。ちょうど#johokaで「情報科お薦め本」という話題が出ているし。

コメント(2)

乙口 wrote at 2010-02-21 00:09:

やっぱ過去問はあんま意味ないですか...

わたやん wrote at 2010-02-21 16:21:

何をもって「意味がある」というかでしょうね。勉強した結果を試すのなら意味がありますが,出題された問題を勉強するのはまったく無意味です。

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2010.02.02 (Tue)

しこうする力

・twitterの@hyukiさんのつぶやきで紹介されていたブログに目が止まった。

・私は生徒だった頃から勉強することで何か見方とか世界とかそういうのが変わることを面白がっていたのだけど,実のところそういうのは少数派なのだろうということは最近になってわかってきた。多くの人はただの苦行としてやっているんだろう。その苦行に疲れた子供が「○○は何の役に立っているのですか」なんて質問を投げてくることがあるが,その程度のレベルの内容が大して役に立つわけないじゃん。むしろ意味があって応用が利くのはその獲得過程だと思うのだけど,肝心のその部分をノウハウで乗りきろう(あるいは「乗りきらせよう」)とする手合が多いように見える。筆者の言う思考する力と試行する力を奪っているような気がするはそのことだろう。試行しないと思考ってできないと思うんだがなあ…そんな余裕がないときはわざと間違わせて正しいやり方と対比させたりもしたけど,これっていやがられるんだよなあ。「最初から正しいやり方を教えてください」って。だいたいからして,正解しか知らないのってつまらないっしょ。

・上に「その程度のレベルの内容が」って書いたのはaomoriringoさんの「高校で勉強するような数学は実社会では全く役に立ちません」にある高校で勉強するような数学は実社会では全く役に立ちません。レベルが低すぎて、全く使いものにならないのです。と同じ話かな。これが私のコンプレックスの1つとつながっていることは否定しない。「勉強嫌いの人に贈る言葉1」もたぶん同じことで。

コメント(2)

ちゃか wrote at 2010-02-03 14:11:

最近見た映画で、「答えを人に求めんなよ。自分で出してこその答えだろ」っていうセリフが妙にかっこよく響きました。今、何かを調べることがすごく容易になっていて、それも思考する力と試行する力を奪っている一因のような気がします。中学生の電子辞書とか、高校生がレポート作るのにウィキ丸写しとか。大学生も…。

わたやん wrote at 2010-02-04 11:35:

その台詞は確かにかっこいい。
正解は誰かが持っているもので,正しさは誰かに判断してもらうもの,という「誰か」依存が無責任だってことにどこかで気づいてほしいとは思っています。調べることはいいんだけど,正しさの判断を委ねるのは違うだろう,と。

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