不定期戯言

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2010.02.09 (Tue)

トラックナンバー

・トラックナンバーなんて言葉があるのか…。うちの職場だと1か2の案件がたくさんあるなあ。ソースとスクリプトを読めば理論上はなんとかなるんだろうけど,そこに至る暗黙の了解事項とか暗黙の注意事項とか一子相伝の(略)。

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Rの勉強をかねて

・入試資料からいろいろなグラフを作って職場内にばらまいてみる。対話型だといろいろ面倒なので,PDF出力までのスクリプトを書いて流し込んでみたり。

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2010.02.08 (Mon)

入試

・今日は入試…といっても私が主に動くのは午後の採点が終わってからなのだが。いろいろ処理して会議が終わったのが23時前…疲れた。

コメント(1)

だきわ wrote at 2010-02-09 06:33:

お疲れ様
こちらは明日本番です。
今日はその準備で目が廻る〜〜〜〜〜

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2010.02.07 (Sun)

思わぬ参加者

・三村智保九段のブログにシチョウの問題があったのだけど,手数が長くて(アタリで追いかけるから一本道なんだけど)頭の中だけで追いきれなかったのでマグネット碁盤を引っ張り出してみた。そしたらうちの文鳥が反応して…。

・右のはこないだgnugoを相手にしてたときの終局図。大きいコウを頑張りきったらとんでもないことに。

石をくわえる文鳥 私が黒

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昨夜のライブ

・昨夜はK.D Japonのライブを聴きに行った。根がアコギでエレキギターのことはあんまりわからないのでFlylineはよくわからない。その点では一ノ瀬大悟duoは好みだな。うまいのはともかくとして,ギターの音がきれい。

・正午なりは東洋之&川端一両氏を迎えて。安心して聞けるな。三木さんのピアノが理性担当というか。

コメント(2)

ほった wrote at 2010-02-09 11:17:

最近はエレキしか弾かないなぁ。

わたやん wrote at 2010-02-17 15:35:

うちにあるのがクラシックギターとエレキギターなんで,フォークギターはもう弾けないだろうなあ…。

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2010.02.06 (Sat)

ptetex3

・ふと思うところあって,ptetex3を野良ビルドしてみた。getlineの定義が/usr/include/stdio.hのとローカルのとで食い違うというエラーが出たのでその辺は無理やり通してみて,ちゃんと動くものがビルドできた。次年度からこれでいこうかな?そしてあとはこのブログをUTF-8に移行すれば,EUC-JPから離れられる。

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2010.02.05 (Fri)

Twitter社会論(続き)

・Twitterの検索はGoogleのような重み付けを行なわず,単に時系列にそってヒットしたつぶやきを列挙するだけだ。野口悠紀雄の『超整理法』も分類を行なわず時系列で整理するという画期的なものであったが,これとつながるところがないだろうか。もっとも野口氏はデジタルを取り入れた『「超」超整理法』を書いているので,後日それと合わせた考察をしてみたい。

・「tsudaる」の語源となった著者がその行為についていくつかの注意点を述べているが,その中で「話の聞き方」に思うところがあった。私はtsudaったことはないが,講演などのときにはfreemindやiMindMapを使ってメモをとっている。道具は何でもかまわないのだが,この「話を聞いてメモをとる」というのは訓練していないとできないということだ。たとえば学校の生徒は授業中先生の話を聞いてノートをとっている…ならいいのだが,実は黒板のコピーに徹していることが多い。だから(今の三学期の授業がそうなのだが)既にテキストに書かれていることの掘り下げた説明をしても,それをどうやって記録していいのかわからず,手を動かせなくなってしまうようだ(その結果,眠ってしまう)。もっと言ってしまえば,板書していないものは記録する必要がない,板書されたことは意味が分からなくても記録する必要があると思っているようだ。これでは思考することはできんだろうと思うのだが。

脱線したので話を戻す。外山氏の本にあったように,日本人の話し方は△型になりやすい。これはしゃべる側としては楽なのだ…話しながら組み立てていくことができるから。ところが聞く側は簡単でない…いつ結論が話されるか予測できないからだ。だから話の筋を集中して追うことが要求される。生徒達にも,(twitterによらず)こういう訓練ができる場があればいいと思う。示されたシナリオ通りに話が進み,プリントの空欄を埋めていく作業をするだけでは身につかない能力だから。

・英国では初等教育にネットリテラシの授業を盛り込み,その中でツイッターやブログの適切な使い方を教えることが議論されているという。危ないものから遠ざけようとする日本のやり方とはくらぶべきもないが,なんといっても初等教育であるということが素晴らしい。中等教育では遅すぎる…それはネットに限らず,思考法,コミュニケーション法についても同様だ。少なくとも学校現場では戦後たいして進歩してないんじゃないのだろうか。ブレインストーミング,KJ法,マインドマップ…そういった取り組みが当たり前になっていないことがもどかしい。それを道具として使わせるためにはやはり小学校でないと手遅れじゃないのかな。

・最後の対談で勝間和代氏が「私たちIT人間からはtwitterの新しい使い方は生まれてこない」という発言をしている。この本には「キャズム」という言葉が何度か現れているが,メールやWebであったように新参者が「勝手な」使い方を始めて古参が苦言を呈するという情景がキャズム越えには必ずついてくるものではないか。私も彼ら同様IT人間だから無理だろう。

最近発表されたiPadの教育利用についてtwitterでも話されているようだが,その中で手で板書することの意味は何かという話があった。私の今までの感覚では,たとえば数式の計算をパソコン上ではできないからどうしても紙でないといけないことがあるということだったのだが,それは単にインタフェースの問題なのかもしれない。なぜなら筆や粘土板で思考が行なえていたのだから。もちろん紙になることで取り回しが容易になり,それが思考にも自由さを与えたと想像できる。だとしたらインタフェースさえなんとかなればiPad上でも数式を,ひょっとしたら紙よりも柔軟に,扱えるようになるかもしれない。ただ,オールドタイプである私はそれを発想できないだろう。どうしてもTeXのような一次元的な入力方法か,ワープロの数式エディタ的なものしか想像できないのだ。素直にデジタルネイティブに期待しよう。

コメント(2)

のぐー wrote at 2010-02-06 12:29:

>Twitterの検索は(略)単に時系列にそってヒットしたつぶやきを列挙するだけだ
いわゆる「作成日付」による整列ですよね(更新はたぶんしないし)
>野口悠紀雄の『超整理法』も分類を行なわず時系列で整理する
こっちは最終アクセス日付による整列なので、ずいぶん意味が違う気がする

わたやん wrote at 2010-02-06 13:04:

なるほど,2ちゃんねるでいう「age」があるのが特徴ですね。

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2010.02.04 (Thu)

Twitter社会論

・最近Twitterに関する本がたくさん出ている。先日の週刊ダイヤモンドもその一つと言えるだろう。「俺は俺なりの使い方をするんだ」という思いがあるからその手の本は敬遠していたのだが,週刊ダイヤモンドに掲載されていた津田氏と堀江氏との対談がおもしろかったので「Twitter社会論」(津田大介著,洋泉社)を読んでみた。心にひっかかったところをねぎま式に抜き書きしてたら12ページにもなってしまった。1冊の新書でこの量になることはなかったので,やはりこの本には興味引かれたということなのだろうな。歴史的なこととか創業者の考えてたこととかはまったく知らなかったし。

・こういったところに本のまとめを書いてしまうのはまずいぞという話もあるので,自分が思ったことを中心に書いてみる…って,いつものことか。

・ブログだときれいにまとめてしまうことが,twitterだともっと生身なところが出てしまうという。確かに私自身もそれは感じる。本文では「他人のむき身の思考の断片」と表現しているのだけど,これはKJ法で「土の匂い」を残したカードを作れと言っていたことに通じるような気がする。きれいなフレーズにまとめようとすると何かが欠落してしまうのだ。まるで携帯の予測変換から「選んだ」言葉でメッセージを記すように。

(5日追記)創業者の一人ジャック・ドーシーは「人間同士のコミュニケーションは得てして他愛ないことから始まる」と考えてこのサービスを開始したという。アイディアは会議室よりも喫煙所で生まれるとはよく言われることだが,それと同じことだと思った。私はタバコの煙に弱いので,喫煙所よりもネットがありがたいのではある。

・まだ書きたいことはたくさんあるのだけど,時間が遅いので後日続きを。。

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2010.02.03 (Wed)

spam対策

・なんか最近英語だけしか書いてないのにモデレートしなくちゃいけないコメントが増えてきたな…と思ってよく見たら全部トラックバックだった。そういえば追加したコードはトラックバックの方は見てなかったな,ということに気づいたのでそっちにもコードを追加。

・しかし,この下に書いてあるだけのトラックバックアドレスに,わざわざspam送ってくるんだから大したもんだ。

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2010.02.02 (Tue)

しこうする力

・twitterの@hyukiさんのつぶやきで紹介されていたブログに目が止まった。

・私は生徒だった頃から勉強することで何か見方とか世界とかそういうのが変わることを面白がっていたのだけど,実のところそういうのは少数派なのだろうということは最近になってわかってきた。多くの人はただの苦行としてやっているんだろう。その苦行に疲れた子供が「○○は何の役に立っているのですか」なんて質問を投げてくることがあるが,その程度のレベルの内容が大して役に立つわけないじゃん。むしろ意味があって応用が利くのはその獲得過程だと思うのだけど,肝心のその部分をノウハウで乗りきろう(あるいは「乗りきらせよう」)とする手合が多いように見える。筆者の言う思考する力と試行する力を奪っているような気がするはそのことだろう。試行しないと思考ってできないと思うんだがなあ…そんな余裕がないときはわざと間違わせて正しいやり方と対比させたりもしたけど,これっていやがられるんだよなあ。「最初から正しいやり方を教えてください」って。だいたいからして,正解しか知らないのってつまらないっしょ。

・上に「その程度のレベルの内容が」って書いたのはaomoriringoさんの「高校で勉強するような数学は実社会では全く役に立ちません」にある高校で勉強するような数学は実社会では全く役に立ちません。レベルが低すぎて、全く使いものにならないのです。と同じ話かな。これが私のコンプレックスの1つとつながっていることは否定しない。「勉強嫌いの人に贈る言葉1」もたぶん同じことで。

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ちゃか wrote at 2010-02-03 14:11:

最近見た映画で、「答えを人に求めんなよ。自分で出してこその答えだろ」っていうセリフが妙にかっこよく響きました。今、何かを調べることがすごく容易になっていて、それも思考する力と試行する力を奪っている一因のような気がします。中学生の電子辞書とか、高校生がレポート作るのにウィキ丸写しとか。大学生も…。

わたやん wrote at 2010-02-04 11:35:

その台詞は確かにかっこいい。
正解は誰かが持っているもので,正しさは誰かに判断してもらうもの,という「誰か」依存が無責任だってことにどこかで気づいてほしいとは思っています。調べることはいいんだけど,正しさの判断を委ねるのは違うだろう,と。

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