『オタクはすでに死んでいる』(岡田斗司夫著,新潮社,ISBN 978-4-10-610258-5)の「貴族」という考えはよくわかる…ような気がする。武士は食わねど…みたいな?
『視点をずらす思考術』(森達也著,講談社,ISBN 978-4-06-287930-9)は著者が言うほど変わった意見ではないと思う。というか,これを異端だと思うような世間だったらいやだなあ。確かに私もオウムに対してはマスコミが用意した「嫌悪感」に引っ張られていたところはあるが。
何かの研究会かセミナーで『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三著,光文社,ISBN 978-4-334-03426-9)から引用した一文が印象的だったので読んでみた。といってもずいぶん前のことなのでどの一文だったのかはもう思い出せないのだが。正直いってサッカーにはほとんど興味がないのだが,サッカーだけの話にしておくのはもったいない。この本でいう「エリート」は『オタクは〜』でいう「エリート」でなく「貴族」だ。エリートであるためには「なんとなく」に流されて生きていてはいけない。そのために必要なこと−精神性だけでなく,アウトプットを行うことの重要さとか−が語られている。サッカーに限らず教育全般で大事なことだ。文中に元フランス代表監督のロジェ・ルメール氏の
学ぶことをやめたら,教えることをやめなければならない
という台詞を引いているが,これもこの職業の者としては忘れてはいけない言葉だ。
日本で生徒を見ていると,カシコイヒトが正しいと決めた解答を答えなくてはいけないという縛りにとらわれているということを強く感じる。間違ってるかもしれないと思うと口を閉ざしてしまう。自分はどう考えたのか,それを引き出したいと思うのだけどなかなか難しい。そこで他人と違った意見をもつことを『視点を〜』では「KY」と呼んでいるのだと思うが,それがあるから他人と話すのがおもしろいというのに。それは「エリート」であることとは関係ない。
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