不定期戯言

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2011.07.09 (Sat)

CE110

・ということで富山大学へ。

・といいつつ,夜行バスで5時に富山に着いて,どうしようもないのでとりあえず海へ。男は冬の海に自分だけのマンガを描けるのかもしれない(謎)。岩瀬浜まで行って,釣り人たちを横目に散歩。そのあと展望台にのぼったり,森家を見学したりで,朝のうちに歩数は1万を超えた。ひょっとして…私いままでにこのコース通ったことがないかなあ。森家を裏の駐車場から訪ねたりとか,展望台の階段で足がすくんだりとか,そういう記憶があるような気がするんだけど…。

え,路面電車って1日乗車券あったの?600円だったらそっちの方がお得だったのに。

・そんな風に時間をつぶしてCE110へ。高校を直接ターゲットにした発表はなかったのだけど,いくつかのサジェスチョンをもらえた。今回の参加者は大学とか企業の人ばかりだったようだけど,それでもこういうことがあるからおもしろい。

・懇親会は話いっぱい,腹いっぱい。帰りの夜行バス(23:59発)まで時間をつぶさなくちゃいけないんだけど,こんなに腹が膨れているとどこの店にも入れない。とりあえず駅前のドトールでこれを書いているけど,店が閉まったらどうしようかな。

と思って富山駅に戻ったら,何人かの参加者と再び顔を合わせることに…土産物で迷ったり,駅の地図を見ていろいろだべったり…そのあと,ライトアップされているという富山城を観ようと一人散歩。写真は別ページにまとめておいた。

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2011.05.25 (Wed)

PENとドリトルのdebパッケージ

・しばらく更新をさぼっていたが,重い腰をあげてdebパッケージを更新。PENは1.19 p3,ドリトルは2.2。

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2011.04.02 (Sat)

操作教育というけれど

・1ヶ月前に情報処理学会の第73回全国大会に行ったときの話を書きそびれていたのだが,書かないのはもったいないので今更ではあるが書く。お目当てはイベント企画のシンポジウム「情報処理学会の皆さん,間違っていませんか?」。プログラミング教育については賛否あって,私も一つ発言しておこうと思っていたことがあったのだが流れを止めかねないのでだまっていた。そのことをここに書いておく。

・言いたかったのはこういうことだ:

ExcelやWordの操作教育が否定的に語られることは多いし,それについてはおおむね同意する。しかし,実は数学の授業はとおの昔に「操作教育」に陥っているというのに,なぜかそのことが話題にされることはない。たとえばこんなエピソードがある。

√9=3,√12=2√3というような計算は間違いなくできるし,二次方程式の解の公式も正しく使える生徒がある日「ところでこの『√』ってどんな意味の記号なんですか」と漏らした。

つまり公式や解答のテンプレートの空欄を埋めることが勉強の主な目的になっているのだ。これが操作教育でなくて何だ。私は自分で答えや正しさを確認できることが数学の楽しさだと思っているのだが,前述した生徒(に限らず多くの生徒)にとってはそうではなく,持ち合わせの答案テンプレートを組み合わせて空欄を埋めることで採点者の評価を得るものになっている。数学がその体たらくである現状で,私が生徒達に味わってほしい「楽しさ」に近いところにあるのはプログラミングくらいじゃないだろうか。だって,自分で答え合わせができることって他にあるかい?そういったことから,正しい勉強を思い起こさせることも本当は必要なはずだ。もちろん情報教育がそんなことまで面倒みる筋合いはないのかもしれないけど :-P

コメント(11)

だきわ wrote at 2011-04-03 01:38:

先日某教科書会社が主催した数学研究会で、青山先生の話には納得したけど、そのあと出てきた受験界で有名な人は、ひたすら入試に使える公式や出題傾向を話してたなあ。それと同根か??

豊後各駅停車 wrote at 2011-04-03 11:07:

ネットで何でも情報が入る中で「大まかな情報」を「ヒトの脳」に入れておくのが大事だと思うんですよね。
先日、東京都足立区北千住の「学びピア」(「放送大学・東京足立学習センター」「足立区生涯学習センター」「足立区立中央図書館」併設)の喫煙室で、足立区職員と、お話したのです。
足立区全体とすれば、むしろ「北千住」のほうが「離れ小島」。しかし、北千住が鉄道の要所なので、区の施設が北千住ばかりになるのでそうです。
「じゃあ、福島県と同じですね。福島市は『行政だけの街』。県の地理的中心・交通の要所は郡山市。」といったら、びっくりしてました。

わたやん wrote at 2011-04-03 19:22:

>だきわさん
受験のことを考えること自体は大切なことなので,その筋の人がその筋の話をすることは一向に悪くないのですが,数学が受験のためだけのものというように生徒がとらえることは断じて避けなくてはいけないと思うのです。原発の一件で,ニュースを正しく理解するには学校で習う程度の理科や統計がわからないと話にならないということがよく話題になっています。しかし思うのは,理系といって育ってきた人たちが,自分が習ったことと今起きていることをちゃんとつなげて考えているだろうかというと,必ずしもそうではないんじゃないか,ということです。それだったら理系だろうと文系だろうと,勉強ってこと自体無駄じゃん。

>豊後各駅停車さん
ときどき東京とか遠くにいくと同じようなことを感じます。ケータイのナビで目的地にたどり着くことはできるんですが,目的地が東京駅から見ておおまかにどっちなのかがわからない。だから「ちょっと時間あいたからどこか行ってみようかな」と思っても,そこから近いところに何があるのかわからなくてついつい秋葉原や神田にばかり行ってしまうのです。
細かいことはネットでいくらでも調べられる,でもそれだけだとポロポロこぼれ落ちるばかり。調べたことを受け止める網をあらかじめ作っておくことが,学校の勉強の役割なのだと考えています。だからその網をせばめないでほしい,特に「理系文系」なんていうような受験用語で。

ほった wrote at 2011-04-04 03:27:

門外漢ですが、教科書に数式や記号の「読み」(音読上)が載っていないのも同じようなことなのでしょうか。
何らかの理由でその辺を教わった授業が受けられず、後日教師が授業中に話しても意味がわからない(何言っているかわからないから質問も出来ない)ってことが何度かあって、敬遠してました。
学校指定の教材(参考書)にも載ってないしねぇ。
(私が学生当時のことだから今はそんなことは無いと思いたいけど)

だきわ wrote at 2011-04-04 07:35:

> 自分が習ったことと今起きていることをちゃんとつなげて考えている

うちの人たち(大人も子どもも)は考えてないなあ。

わたやん wrote at 2011-04-04 08:32:

>ほったさん
そういえば先日職員室で「合成関数の『f○g』ってどう読む?」ということが話題になりました。みんな「えふまるじー」で,その根拠は自分がそう教わったから,ということでした。定積分やΣの読み方もおおむねそんな感じで,自分が教わったものを受け継いでいるようです。ホリエモンの本(だったかな?)に「20年前に習ったことを20年前の方法で教えている」とありましたが,まさにその通りだなと。学校関係業界,入試関係業界で閉じた,この業界限定の常識が作られていくのもこういった構図なのでしょう。

だきわ wrote at 2011-04-13 18:17:

日本の高校 http://www.amazon.co.jp/dp/4377107771/ という本を読んでますが、1975年ぐらいの日本の高校と今の日本の高校が殆ど変わっていないことに愕然としました。
「不易と流行」とは言いますが、「不易9割9分、流行1分」という感じですわw。

わたやん wrote at 2011-04-14 09:26:

学校でいい成績を得ることと,その外で通用する能力を身につけることが,同じ方向になればいいんですけどね。1975年なんてある意味では大昔で,求められる能力やつけられる能力,価値観なんかいろいろ変わってしまっているのに。

わたやん wrote at 2011-04-14 09:30:

で,「不易」だと(多数の人が)思ってることも見直してほしいなあ,というのがほり先生のブログへのコメントだったり。
http://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/e/6fd985292947723bd4c45b3d9ca18a71

豊後各駅停車 wrote at 2011-04-16 20:08:

わたしの住んでいる所は、最寄駅が「大島(おおじま・都営地下鉄新宿線)」と出ますが、実際には「東大島」が「旧・中川(なかがわ)」をまたぐので、(トンネルを深くするより工費が安かった。)小松川口(江戸川区)・江東口と分かりやすいのです。「地上」「改札」「ホーム」とエレベータ2回で確実に乗り降りできるのです。
しかも、東日本大震災のため、京王相模原線直通の都営新宿線「急行」運転中止(「大島」停車・「東大島」通過)のため、もっぱら「東大島」を使っています。
これ以上は「諸般の事情」で書けません。

豊後各駅停車 wrote at 2011-05-01 01:08:

「遊び」とか、「余裕」とか大事だと思うんですね。
「浪人」も「留年」も許されず、22歳で社会人に「ならなければならない。」
「頭のいい子」は教師に「おべんちゃら」をするのが耐えられなくて、自ら命を絶つ。杉本治「マー先のばか」・尾山奈々「花を飾ってくださるのなら」・島田清子「みぞれは舞わない」、そして高野悦子「二十歳の原点」なのです。
私は、何とか39まで生きてきましたけど。

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2011.02.28 (Mon)

一般教養としてのプログラミング

・26日の研究会の話の続き。きちんとまとめられてないけど,時間おくと勢いなくなるから。

・プログラマになる者を育てるためのプログラミング教育はそれはそれとしてあるけど,多くの者は開発を仕事でやるわけではない。しかし開発者に仕事を依頼する立場になる者は決して少なくないし,そのときにきちんと話ができるためにはプログラミングがどのようなものか知らないわけにはいかないだろう,というのが研究会の趣旨であった。業務をわかっていればシステムの要求定義ができるということにはならない。たとえば学校で教務のエキスパートがDBの設計をやれるかというと,おそらく単年度とか単学年で使い切るものならできるだろうけど,年度や学年,カリキュラム改訂をまたがったものを作れる程度に抽象化することはできないだろう。もちろん受注側が業務を完全に把握しているわけもない。発注側も受注側も,それぞれの想像力でミスコミュニケーションの穴を埋めようとしてしまい,不幸な結果を生む。アドミンティーチャーズで校務システムを内製する話が出るのもそれを避けるためだ。

・そのためにプログラミングを体験することは正しい。「高度に発達した科学は魔法と区別がつかない」というクラークの言葉通り,ITはややもすると魔法扱いされてしまう。それを現実の科学に引き戻すための教育だということだ。しかしここで一つひっかかることがある。生徒達が授業で作るプログラムのレベルと,普段接するプログラムのレベルには相等のギャップがある。そのギャップの大きさが再び魔法の壁を作ってしまうのではないかということだ。かといってそのギャップをきちんと埋めるような教育をするのは本筋ではない。うまい方法で軽く飛び越せないものだろうか。たとえばEclipseやVisual Studioでのポチペタプログラミングの体験なんか役に立たないかな。

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MW wrote at 2011-03-01 17:50:

プログラミングは興味があって勉強してみたいと思うのですが
何しろ全くと言っていいほどの初心者なので
書店に行っても本があり過ぎて
どの本を買って勉強していいのかがわかりません
何かおススメの本はありますか?

文庫老 wrote at 2011-03-02 21:15:

 まずは無償の「Visual C# 2010 Express」をインストール。 それから、「Visual C# 入門」で検索して勉強する。 というのはどうでしょうか。
 初心者向けで薦められる本はよく知らないです。 仕事で使うという目的なら、薦められる本はあります。

MW wrote at 2011-03-04 16:13:

返事が遅れてしまい申し訳ありません
なるほど、「Visual C# 入門」で検索したら確かにいろいろ出てきました。
まずは、初心者を卒業したいと思います。
ありがとうございました。

わたやん wrote at 2011-03-07 09:37:

本は良し悪しの他に,相性があるので,本屋でよさげなものを見繕うよりないと思います。あとは何でもいいから作りたいものを作ることですかね。退屈な例題プログラムを入力してるだけではなかなか続かないので,勉強もしつつ,自分の手が届かないかもしれないことにも手を出しつつ(完成しなくても)。

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2011.02.27 (Sun)

「プログラミング教育と倫理」研究会

・26日に日本情報倫理協会と教育システム情報学会関西支部の共同主催で表題の研究会が開催されるというので西宮まで足を運んだ。行ってみると何人か顔見知りが。開催趣旨にあるように,開発者にはなる者は少ないけれど,業務システムの導入・修正などの際には開発者と話をすることになる者は多い,そのときにきちんと話ができるために身につけるべき素養はいったい何であるかということに興味があったからだ。

・話を聴いて自分なりにいろいろ考えたことがあるのだが,まだ文章に書けるほどまとまってはいないので,詳細は後日改めて。今日のところは周辺の話をメモ的に記しておく。

・OSC福岡2010での長崎県庁の島村氏の資料は興味深い。このアプローチが有効なのは行政に限らないだろう。今回の研究会の中心話題は,こういうことができる人材を育てることだと思う。決して楽をすることにはつながらない,でも正しい仕事のために必要なことだ。

帰り道に一発屋で三丁目を食べてきた。確かに辛いのだけど,ただ辛味だけを強くしたものではないので食べやすいし,後に響かずすっきりしている。今度は四丁目を試してみようかな。

いただきますごちそうさまでした

往復とも在来線だったので本がよく読めた。『やさしい情報整理学』(かいきよみち著,社会思想社),『自分の頭で考えるということ』(羽生善治・茂木健一郎著,大和書房),『仕事に活かす!マインドマップ』(主藤孝司著,PHP研究所)の順番に読んだのだが,うまく内容がつながっていった。私の思考・勉強のスタイルって多分に昭和だなと思ってはいるのだけど,それにはそれの良さがあることを再確認した。このことについてもいつかまとめてみたい。

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2010.12.23 (Thu)

日本情報科教育学会三周年記念フォーラム

・ということで東京タワーのすぐそばの会場へ(帰り際にライトアップされたタワーを見た。うん,綺麗だった)。夜行バスで来てたせいでだいぶ眠かったのだけど,カラー筆ペンを出してマインドマップでノートを取り始めたら頭が目を覚ましたようだ。以下,話を聞いて考えたこと:

・経産省が定義づけた「社会人基礎力」につながる力のいくつかを,情報科は背負っているように思う。チームワーク力とかコミュニケーション力とか(体育もやってるかな)。そういったものを,情報科だけが背負うべきなのだろうか←これを疑問文にしたのは2つの意味がある。1つは,他の教科でも当然やるべきものだから振り分けて実施してもらえば(あるいは私が何度か口にしている「勉強科」を作って行なう),情報科として真にやらなければならないものだけが残るだろうということ。もう1つは,情報科がこれを背負うことによって,生徒たちに不可欠な教科としての地位を確保することもできるだろうということ。次の学習指導要領に向けて,どちらかに舵を切るのだろうか。

・いまどきは大学生にノートのとり方から教えなくてはいけないというケースもあるという。勉強の仕方そのものがおかしくなっているのだろう。高校までの学校の勉強は,情報科を除いてすべて(川喜田二郎氏が『発想法』でいうところの)書斎科学になってしまっているように思われる。一方,情報科は野外科学であることを求められている。この違いはノートのとり方にもあらわれてくる。書斎科学であるなら,現資料はずっととどまったままだ。だから板書を写すということでとりあえずのノートはできるし,教える側もそれで満足してしまう。たいていの場合,生徒に要求するのは教えた内容の「再現」だからだ。そしてすべては形式だけを整える儀式になる。

・従来教科は学習指導要領が変わっても何も変わらない。もちろん単元の加除はあるが,ただそれだけだ。ただ入試という「競技」のために特化し,その結果として学校の勉強がガラパゴス化している(国際競争力の足しにならないという意味で)。たとえば数学の「データの分析」は(教科書会社方面から漏れ聞くところによると)できるだけ軽く扱われようとしているようだが,そういうのを聞くと彼らには日本人の統計に対する弱さへの危機感とかなくて,ただ国内競技の成績だけを気にしているようにしか思われない。この改訂なんて「迷惑なルール変更」としか考えていないのだろう。

・何人かから共通して出たのは,情報科教育の質保証・質向上はつまるところ教員のそれであるが,その妨げになっているのは,たとえば他教科との兼担であり,職場内SEという役割だということだ。その点では私は恵まれた状況にあると言えるだろう。今は情報だけを担当しているし,職場内SEであることを業務と位置づけてもらえている(もちろんそれを勝ち取る苦労はあった。ネットワーク管理を業務と位置づけられるまでに十年以上かかったし)。しかしそれは必ずしもすべての情報科教員にあてはまることではない。かといって,私が今の状況を作るために何年も声をあげ続けてきたのと同じことを他の人たちもやれというのは現実的でない気がする。

・そんなことを考えながら神田神保町の古本屋をめぐっていたら,『やさしい情報整理学』(かいきよみち著,社会思想社現代教養文庫729)をみつけた。梅棹先生の『知的生産の技術』の実践みたいな内容かな。これも何かの縁だろう。もちろん即購入。

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tss wrote at 2010-12-26 10:02:

切実に勉強科が必要だと思います。それと合わせて入試改革、大学改革も。

だきわ wrote at 2010-12-27 15:04:

わたしゃ今でもフィールドワーカーとして生きているつもりです。

さて、

先日数学の教科書の編集をしている大学の教員に話を聞きました。
まあ何も考えてません。新しい部分はガン無視です。彼に生徒には何が必要だと考えているのか?という疑問をぶつけたら、彼は「受験に」何が必要なのか?というスタンスで答えてきた。馬鹿かと。
#こういうのがチヤホヤされるのが間違っているなあ。と

実際そことは違う某大学wの付属校入試では、問われるべきは大学での学びについて行けるかどうかであるはずなのに、それは国語の問題、特に現代文と漢字の書き取りだけができればいいということにすり替えられているのです。
入試担当の職員も、一般の受験生には、大学に合格するための勉強法は伝えるけど、大学で必要とされる知識や技能は伝えない。何のために「社会人基礎力」を要請しているのだろうか。

にしばたりつこ wrote at 2010-12-29 02:54:

ご挨拶できずに失礼しました。
私も兼担前提の、副教科要の採用は納得いきません。

では、6月の全国大会でお会いできること、楽しみにしております。
TB頂戴致します。

わたやん wrote at 2010-12-31 00:14:

>tssさん
どれだけ周囲の人にその必要性をわかってもらえるか,だと思っています。職場では幸いにして若い連中の何人かが「考えて」動こうとしているので,彼らにじっくり話してみたいです。

>だきわさん
彼らがすぐに大人になり社会を動かしルールを作る側になる,だとしたらどうすべきかという,ただそれだけのことなんです。その手助けをすることが生徒を大事にすることであり,次の世代を作ることだと思うのです。
研究にこもる人を除けば誰もがフィールドワークで生きていくはずなのに,どうしてこもるための方法だけしか教えないのか。しかも高校で。
#私の学生時代のキャラクタはこもる方に思い切り向いてたはずなのだけど。

>にしばた先生
なんかこの日は自分の中で落ち着きがなくて,挨拶もせずに失礼しました。私も数学科教員として就職した当時から,数学をめちゃくちゃ勉強しました。それと同じことが情報の教員にはできないというのは,教員にも生徒にも不幸なことです。

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2010.10.16 (Sat)

ジョーシン2010秋

・ということで金城学院大学へ。講演がいくつかあって,話はパネルディスカッションに集約していったように思う。たとえば「情報B」と「情報C」のアンバランスが「情報の科学」と「社会と情報」に引き継がれるかという話。ある程度は傾向を引き継ぐことは予想に難くないが,偏りが拡大されはしないだろうか。「『情報B』や『情報の科学』は難しくて教えられない」と敬遠する教員もいるようだが,だったら「情報C」や「社会と情報」は易しいとでもいうのだろうか(元教科が理科や数学だという教員が情報科には多いはずなのに)。それはそれとして「情報B」や「情報の科学」について「これだけやれば形になる」というものがあるといいという話もあった。多くの大学が入試で取り上げれば標準が収斂していくのかもしれないけど(もちろん功罪両面ある),それを待つのは現実的でない。

生徒のスキルは果たして向上しているのか,という問題提起は興味深い。ほうっておくとWebを見たりYoutubeを観たり…ケータイも含めて受け手(あるいはtwitterやメールなどの短文作成)としての能力は高いのだけど,まとまったものを作り出す方向には向かわないということだろうか。 コンピュータ方面に寄っていえばhackableという楽しさというようなことも大切なんだけど,最終的には梅棹氏のいう「情報科」ができないとどうしようもないんじゃないかなあと思う。

・懇親会は全体が見える人数でいい感じだった。長谷川先生が片付けをしていたので,不肖ながら乾杯の挨拶をさせていただいた。後から思えばいろいろお礼を述べたりとか形を整えるべきだったのだと思うけど,唐突に指名されて心の準備がなかったので容赦いただきたい。そのあとはわいわいと。何人かをuiro.orgに勧誘したりもした。

・今回メモのマインドマップをカラー筆ペンで書いてみた。いや,楽だわ。マインドマップには「枝の力」というのがあると思っているのだが,筆ペンだとそれが労なく描ける。もちろん「セントラルイメージの力」も重要なのでそれはそれで鍛えなきゃいかんのだが。

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2010.10.06 (Wed)

hackable

・「コンピュータ入門」にでてきた「ハッカブル」という単語に思わず手を打った。ハッカブルであるという自由。それが楽しくてプログラムを作るんだな。

コメント(3)

だきわ wrote at 2010-10-07 23:05:

「ハッカブル」を「バカップル」に空目 orz...

わたやん wrote at 2010-10-09 09:49:

娘と同じ空目を…

だきわ wrote at 2010-10-09 12:33:

だって僕若いから。 ю:} ю:】

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2010.08.25 (Wed)

PIC16F88

・名古屋工学院専門学校がPICのセミナーをやってくれるというので参加した。使うのはPIC16F88。テキストで詳しい説明をしてくれたので,これだったら自分でも何か作れそうな気がした(そんな簡単じゃないんだろうけど)。トレーニングボードを同校で用意してくれたのだけど,参加費からみたら足がでまくってるんだろうなあ。

トレーニングボード

・PICライタは秋月で買えるのかな。使ってたのはたぶんこれだと思う。ソフトウェアの画面に不安定になるから14ピンを1MΩの抵抗でなんとかしといてみたいなメッセージが出るので裏返してみたら,抵抗が直付けしてあった。

オモテ面ウラ面

・そんなわけで,何かつくりたいという気持ちがうずうずしてきた。

コメント(8)

fa wrote at 2010-08-30 23:51:

えぇと、今日4Fの非常階段で会った者です。
上にある秋月のPICライタが家のどこかに転がってるはずですが、ご入り用ですか?

わたやん wrote at 2010-08-31 08:51:

ありがとうございます。でも私の場合こういうのは身銭を切らないと怠けてしまうので,入手方法も含めて楽しんでみます。

かわ wrote at 2010-08-31 14:06:

PICライター(プログラマー?)いまなら、PICKit3を使うのが楽ですよ。

わたやん wrote at 2010-08-31 15:33:

PICKit3だとUSBでじかにいけるけど,ソケットとの結線を自分でやる必要がある(といっても5本か)のですね。どっちにしようかなあ<とか悩むのが楽しい(^^)。

tkamada wrote at 2010-09-06 11:43:

秋月のライタは作るのが楽しい部分が大きくて、実際に使うとなると、やっぱりデバッグしやすさとか含めて本家にはかなわないです。

そうなると、「両方買う」が答えになるのかな? :)

ただ個人的にはPICはもう思い出したくないです。日本語の資料が少なすぎるのですが、AVRが普通の人にはよほど楽だ(プログラムが書きやすい)と思います。gccがあるのでwineとか使わなくてもクロス開発できるのがいいと思います。

わたやん wrote at 2010-09-06 13:05:

AVRでぐぐってみたら,やねうらおさんが書いた「いますぐPICをやめてAVRに移行すべき10の理由」が出てきました。
http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20080228

tkamada wrote at 2010-09-17 10:44:

秋月も、PICKit2互換のライタキット売ってるんですね。値段も同じぐらい。

そういえば、PICもAVRもハーバードアーキテクチャといって、プログラム側とデータ側はメモリ空間が違っていて相互にアクセスできないので不自然なコードになるのは同じ、という罠がありました。

ちょっと値が張りますが、ARMのMシリーズはハーバードアーキテクチャながら見かけ上同じメモリ空間に両方あるのでコードが小さくなる、という記事を読みました。LPCXpressoは意外とツボかもしれません。

ただ、PICKitにせよICPは楽ですが、MPUをソケットから抜いて、HEXファイルをライタで書き込んで、基板にMPUを挿し直す、という作業は、(MPUのピン大丈夫かなぁ)とか(これだけ苦労してバグ取れなかったら泣けるよなぁ)とかのドキドキ感がないので、ちょっと寂しいかもしれません。かなりマゾヒスティックな悦びですが

わたやん wrote at 2010-09-20 17:33:

ドキドキ感は大事だと思うのです。マイコンじゃなくて普通にPC上のプログラム作ってるときだって,makeは祈りを伴います。いわんやハードウェアをや。

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2010.08.21 (Sat)

全国高等学校情報教育研究会

・19日の夜行バスで金沢に移動。駅内の白山そばで朝食をとったり,駅そばのサウナで休憩したり。

・まず文科省永井視学官の講演「新学習指導要領と教科『情報』」。内容の骨子については既に我々は何度も耳にしている。問題は,我々以外の人が「情報」を中心に行なわれる日本型情報教育について知らなさすぎることであるとの話。そのために「情報=コンピュータ」というような間違った認識が世にはびこっている。この件については夜の懇談会で永井氏に直接訴えた。たとえば先日名古屋で行なわれた学習指導要領説明会では,情報と公民の連携について,情報では説明があったのに公民では説明がなかった件。あるいは我々が日本型情報教育をいかに理解していたとしても,それを知らないクラス担任,他教科の教師,中学の教師が間違った認識をすり込んでいる件。

・ポスターセッションでは,近藤敏文氏(天白高校)が色の三原色の説明のためにプロジェクタのディスプレイケーブルを切断し,RGBをつなぎ変えることで色が変わることを示すという実践を紹介していたのが興味深かった。ケーブルは「複合同軸」と書かれているものを選ぶと,余計な線を切らずに済むので作業しやすいとのこと。最初はスイッチで切り替えることも考えたというが,それよりもこのようにクリップでやる方が直観的でいいと思う。また,能代茂雄氏(都立上野高校)は都立の情報教員だけをメンバとするSNSの話。守秘事項に話が及ぶこともあるので,メンバをむやみに広げないことも時には必要だと。なるほど。小原格氏(都立町田高校)はジャストシステムのテキストマイニングソフトを使って自由記述から傾向をつかむという話。たしかにこれは有用だと思うのだが,問題はソフトウェアが高額だということ。

写ってるのはスイカクリップでつなぎ変えができる

・「『基礎情報学』と『情報C』」中島聡氏(埼玉県立大宮武蔵野高校)
高校の情報科,特に情報Cは親学問がないということがよく話題になる。そこで西垣通氏(東京大学)らが研究している「基礎情報学」をその根拠にしてはどうかという提案。私の考えとは必ずしも相容れないところがあるが,情報やその伝達というところに背景を与える方法の一つではありえるだろう。

・「問題解決力をつけるために」江守恒明氏(関西大学中等部高等部)
問題解決はすべての知的な機能の中で最も複雑な思考である。その獲得については単純なノウハウがあるわけではなく,生徒には実体験を通じて身につけさせることが求められる。もちろん「問題の発見と明確化」→「分析」→「解決策の検討」→「実践・結果評価」→…というサイクルや,各種手法(シンキングツール,ブレスト,ディベート,KJ法,図解法…)については説明するが,きちんと時間をとってそれを実践する活動をしなくては何の意味もない。同校では中等部で「考える科」として13コマの実践を行なっているとのこと。

・「アルゴリズム的思考による計測・制御と問題解決学習」稲川孝司氏(大阪府立東百舌鳥高校)
ヴインストン社の台車型ロボットBeauto Racerを教材として用いた。このロボットはUSBでPCと接続して,作ったプログラムを送りこむことができる。これのシミュレータがよい出来で,画面上でフローチャートによってプログラムを作り,その動作を画面上で確認することができる。開発手順は,そうやってシミュレータ上でプログラミング・動作確認したあと,実機にプログラムを流し込んで動作確認するということになる。このシミュレータ自身はLinux上でwineを用いて動作させることができることを自分のノートPCで確認した(ただし実機がそのままではUSBデバイスとしてうまく認識されない)。フローチャートが構造化されていないことは,私にとっては不満ではある。私自身も興味があるのでBeauto Racerは1台購入した。そのうちじっくり遊ぶつもり。

デモ

・「モデル化とシミュレーションについての実践」野部緑(大阪府立桃谷高校)
この単元では数式モデルを扱うことになるが,実は現実にあることをモデル化することは極めて難しい。これは数学の文章題がたいてい嘘臭く見えるのと同じで,高校生の能力で自らモデルを設定してシミュレーションを行うというのはあまり現実的でない。そこで逆に,数学の文章題にあるような問題を題材にモデル化を行い,それをPCで解いてみようという実践である。私見であるが,たとえば数学でよく扱われる2変数の線形計画法,あれの解答が書ける生徒のうちどれだけがちゃんとしたイメージを持てているだろうか。イメージが持てずにただ機械的に計算式を書いている生徒がいるとしたら,この実践が逆に数学の理解にも役立つと思うのだ…ということをコメントしようと思ったが時間切れ。

・家へのおみやげは中田屋のきんつば。わりと軽い感じの甘さでいい感じ。

きんつば

コメント(7)

だきわ wrote at 2010-08-30 05:01:

ああ、いいなあ。全国の皆さんがんばってるんですねえ。
こんなきっちりとした研究も実践もしてませんが私。(汗)
それでもいいですか?

わたやん wrote at 2010-08-30 09:01:

私も名前だけはある程度知られているので,こういうところに行くと「発表とかしないの?」と聞かれてしょぼんとしてしまいますが,どの場に行っても自分の立ち位置で話ができればそれで自分に意味はあるだろう(それしかできんし)とも思っています。
永井視学官に伝えたのは,例の学習指導要領説明会の一件です。「やっぱり公民では言わなかったよね」とのこと。

だきわ wrote at 2010-08-30 11:16:

どうも数学(後日実施されたの)では連携を言われてたみたいよ。

わたやん wrote at 2010-08-30 11:42:

だきわさんが指摘した甲斐がありましたね。

こん wrote at 2010-08-30 15:31:

紹介していただいて、恐縮です。
内容はともかく、発表することで情報交換のネタになればと思い、気楽に参加してます。

わたやん wrote at 2010-08-30 16:31:

発表の内容を自分とこでそのまま使うってことはなくて,その中からアイディアをもらうということですよね。見る側も感想を伝えることで反応を起こすことができると思うので,必ずしも発表する側でなくていいやとも思っています。

こん wrote at 2010-08-30 21:30:

コンピュータは高性能になったけど、昔に返って、もっと、単純で、素朴で、電気が流れていることが実感できるよなものを、情報の授業に取り入れたいという思いから生まれた教材です。なおかつ、速い(簡単にできて)、安い(材料費は安く)、美味い(生徒がへーっと言ってくれる)が条件ですけれど。

発表をしたことが踏み台になって、新しいもの生まれてくると面白いですね。皆さんからいただいた感想が、次につながります。我が県にもそいう場を作りましょう。ざっくばらんに、ゆるーく。ノンプレッシャーの会を。

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