一昨日のシンポジウムを踏まえて,考えたことを書いてみる。
プログラミングを「体験」させることが大事だというのはまったく同感。しかし「手順的な自動処理」なんて表現はやっぱりだめだ。「プログラミングと言ってしまうとそのためにまた悶着が…」という話らしいが,高校(の情報教員以外の場)では「情報=パソコン教育」というような誤解を平気でしている。我々は多勢に無勢の状況でそれに立ち向かわなければならないというのに,味方である(と思っている)情報処理学会がそんなくだらないことでもめていてはつまらない。立ち向かうべき相手を間違えてはいけない。
「アルゴリズムから入るプログラミングは面白くない」という話があった。指導要領に「アルゴリズム」とあるから仕方なく整列や探索のアルゴリズムが教科書に書かれている。しかし,そんなものを実行しても面白くもなんともないのだ,生徒の感覚では「表計算使えば一発じゃん」なのだから。
表計算がやってることの原理を確認するというふうに建前を用意することもできなくはない。しかしそれならそれで整列されていく様子をダイナミックに確認できる方法まで用意しない限り,生徒にとっては表計算と同じように「用意された結果」が与えられたようにしか見えないだろう。実習をするからには,まっとうな成功体験や失敗を踏まえた試行錯誤を味わってもらいたい。
某地方の調査結果より。学習指導要領で必要とされているのよりも多くの時間が実習にあてられていること,実習の手順書のような教科書が一部にはあること(さらにそれでさえ「操作」に関する記述が不足だという意見があるらしい),実習では99%の学校でMS Officeが使用されていることなどを見ると,オフィスソフトを使った実習がほとんどすべてというところが一部にはあるように思われる。そういったところで情報を担当する教員は,オフィスソフトを使うことが自分のコンピュータ利用のすべてであり,それが自分の行なう情報処理のすべてであり,それを生徒に身に着けさせることが情報教育だと思っているのかもしれない。しかし彼らはオフィスソフトでほんとうに情報を生み出しているのだろうか。単なる整形加工は何も生み出してはいない。
天良先生の紹介された実践例はこっちでも取り入れたいものばかりだ。次年度にむけてネタ作りを始めるか。
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